僕はテレビはほとんど見ないのだが、だいぶ昔に見たリーガルハイのこのシーンが、今でも痛烈に印象に残っている。
敏腕毒舌弁護士の古美門が、公害訴訟を和解で終わらせようとする老人たちにガチギレするシーンだ。
絹美村は仙波化学という製薬会社が作った工場から垂れ流される汚染物質により、甚大な被害を受けていた。古美門に依頼し、訴訟を起こした村民たちだったが、仙波化学から和解の提案を受け、それを受け入れようとしている。
一部、書き起こしてみる。
老人「みんな悔しくて悔しくて仕方ねえんだ。だけど、必死に気持ちを押し殺して納得しようとしてるんじゃねえか。」
古美門「なぜ?」
老人「なぜ?」
古美門「ゴミクズ扱いされているのを分かっていてなぜ納得しようとしてるんです。」
老人「俺たちはもう年寄りなんだよ」
古美門「年寄りだからなんなんですか」
老人「具合が悪いのにみんな頑張ってきたんだ」
古美門
「だからなんだってんだー!!!」
古美門「だからいたわってほしいんですか?だから慰めてほしいんですか?だから優しくされたらすぐに嬉しくなってしまうんですか?
先人たちに申し訳ないとは、子々孫々に恥ずかしいと思わないんですか?
何が南モンブランだ。絹美村は本物のモンブランよりはるかに美しいとどうして思わないんですか。」
古美門「誰にも責任を取らせず、見たくないものを見ず、みんな仲良しで暮らしていけば楽でしょう。しかしもし誇りある生き方を取り戻したいのなら」
古美門「見たくない現実を見なければならない。深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。闘うということはそういうことだ。愚痴なら墓場で言えばいい。」
古美門「金が全てではない?金なんですよ。あなた方が相手に一矢報い、意気地を見せつける方法は、奪われたものと、踏みにじられた尊厳にふさわしい対価を勝ち取ることだけなんだ。それ以外にないんだ!」
僕はこのシーンが好きで、今でもほぼ毎日見ている。古美門のトークが素晴らしく巧みで、それを真似して活かすために見ているのもあるが、「闘うということはそういうことだ。愚痴なら墓場で言えばいい。」というセリフが強く心に刻まれている。
いろんな思想やら格差やらが渦巻く現代。SNSは見ているだけで精神を蝕んでくる。
年金がもらえなかったり、2000万円蓄えないと老後が生きられなかったり、デートのおごりおごられ論争が勃発したり、格差や貧困が叫ばれたり。
なぜ人は争うことをやめないのか。
常にどこかで誰かと誰かがぶつかり合い、出口の見えない言い合いをしている。
僕は、この世に生まれたからには、誰よりも強く生きたいと思っている。
ここでいう強くとは、言い訳をせず、かっこいい生き方をし、最強になるということだ。
それは勉強にせよ、筋トレにせよ、恋愛にせよ、お金にせよ、誰よりも強く、一番でありたいと思っている。
そのためには頑張らねばならない。
実家が貧乏だろうが、ヒョロガリだろうが、周りにバカにされようが、環境なんて言い訳にならない。
圧倒的力でいかなる邪魔者でもねじ伏せる。
それくらいの気概で、全員ぶっ飛ばす勢いで、我が道を行かねばならんのだ。
闘うということはそういうことだ。
見たくない現実を見なければならない。
深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。
理想と現実の差を目の当たりにしようとも、誰かに悪口を叩かれようとも、それを向き合い、傷を負ってでも乗り越えていく。闘うというのはそういうことなんだ。
そして、闘うのならば、文句を言っている暇はない。
環境のせいにして行動を起こさないのが一番愚かだ。
待てど暮らせど、状況が整うことなんて一生ない。
英語話せるようになりたいけどお金がなくて留学に行けない...
ジムに行ってる時間もないし、ヒョロガリだから筋トレしても意味ない...
頭悪いから就職もうまくいかない...
彼女作りたくても出会いがない...
ブログとかYouTubeやりたくても周りにバカにされそうで出来ない...
だからなんだってんだー!!!
金がないなら働けばいい。
英語を喋りたいなら外国人に片っ端から話しかければいい。
時間がないなら無駄な飲み会にいかなければいい。
ヒョロガリなら死ぬほど食えばいい。
吐くまで筋トレすればいい。
頭が悪いなら勉強すればいい。
彼女が欲しいならマッチングアプリでもなんでもして出会いの場数を踏めばいい。
周りの目なんて無視して自分の意志を貫けばいい。
闘うということはそういうことだ。
愚痴なら墓場で言えばいい。
やるべきことが僕らにはいっぱいある。
生きてるこの今、限られた24時間の中に、愚痴を言ってる暇はない。
愚痴なら墓場で言えばいい。
この言葉を胸に、今日も闘い抜こう。
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