【北欧一人旅】スウェーデン編 森の墓地-Skogskyrkogården-へ

 

 

<北欧一人旅前回の記事>

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ストックホルム二日目の朝。カウチサーフィンで泊めさせてくれたホストさんが車で送ってくれることになった。本当にありがとう。

 

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昨日の夜は雨が降った。車の窓にも水滴がついている。

この景色は世界どこでも変わらないんだな。なんて当たり前のことを思いながら窓を眺めた。

 

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<今回利用したカウチサーフィンの魅力>

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この北欧一人旅、僕はスウェーデンでどうしても訪れたい場所があった。

 

車はどんどん進み、高速道路を北へ北へと走る。

 

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15分ほど走り、目的地に着く。ホストさんに入り口で降ろしてもらい、丁寧にお礼をいった。ついでにカメラの好きな彼にイカした写真まで撮ってもらった。これから仕事に行くホストさん。今日は金曜日だ。夜に一緒に飲む約束をし、待ち合わせ場所を決め彼は車でストックホルムへと向かっていった。

 

 

 

振り返るとそこには夢にまで見た美しい景色が広がっていた。

 

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僕がどうしてもスウェーデンで訪れたかった場所。

それがSkogskyrkogården またの名を森の墓地。

 

「北欧モダンの父」と呼ばれるスウェーデンの巨匠、エリック・グンナール・アスプルンドが生涯をかけて築いた世界遺産だ。

 

時刻は朝10時。ひんやりした空気に目が覚める。母親と子供だろうか、小高い丘ではブロンドのきれいな髪の天使のような青い瞳の子が走りまわっていた。

 

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僕は建築が好きだ。高校生の頃、ル・コルビジェの作品に感銘を受け、建築家の道を志した。しかし色々あって他の分野で頑張ろうと別の道を歩むことになったのだが、今でも変わらず建築は大好きだ。そして森の墓地は僕が建築に没頭していたころ、もっとも心を惹きつけられた作品の一つであり、そして北欧一人旅に行く前に読んだ”ある小説”の”終わりの舞台”でもあった。

 

 

 

重松清の小説「十字架」には森の墓地が登場する。

もし僕が「十字架」を読まずにこの地を訪れていたら、ああ、憧れの建築に出会えたと感動しただけで終わっていただろう。しかし「十字架」を読んだ今、僕は感動以上の感情を持って、一歩一歩、十字架に向かって伸びる道を大切に踏みしめながら歩いている。

 

 

「十字架」は悲しく辛い、そして生きるとはなんたるかについて考えさせられる小説だ。いじめで自殺したフジシュンは、死ぬ前に自分だけの世界一周旅行の計画を立てていた。誰にもそのことを明かしていなかったフジシュン。彼と大して親交がなかったにも関わらず、遺書に「ありがとう」と書かれた主人公は「なぜ自分の名前が遺書に載ったのか」そして「僕もフジシュンを見殺しにした一員なのだろうか」という葛藤に苛まれながら、フジシュンの短い人生に少しずつ触れていく。

 

そんななか見つけた彼の秘密の世界一周旅行計画。世界中の有名な観光地を周った後、最後にフジシュンが訪れたかった場所。旅の終着点。それがこの森の墓地だったのだ。

 

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森の墓地はそこまで有名な場所ではない。世界遺産ではあるが、日本人でその存在を知っている人はごく僅かだろうし、スウェーデンでもそこまで名の知れた場所ではないらしい。しかしフジシュンは森の墓地を旅の終わりに選んだ。そして今、僕はフジシュンが訪れることのできなかった森の墓地に立ち、この荘厳な墓地を象徴する大理石でできた十字架に向かって歩いている。

 

 

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僕が想像していたよりも十字架は大きく、澄み渡ったストックホルムの空気の中にぴんとまっすぐに立っていた。ああ、ここが僕がどうしても行きたかった森の墓地なのだと込み上げてくるものがあった。

 

フジシュンが自殺したあの日から、2年3組の生徒は皆、十字架を背負った。いじめた人も、見て見ぬふりをした人も、皆、十字架を背負った。かけがえのない命を、見殺しにしたという十字架を。

 

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「十字架」はとても読むのが辛い小説であった。それは「いじめ」という誰もが間接的に関わったことがある可能性がある題材を扱っているから、人の命に関することだからというわけではなく、各々が背負った十字架が中学二年生が背負うには重すぎるものだったからだ。

 

 

 

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そんな己が背負った「十字架」と向き合い、懸命にフジシュンを理解しようとし、その家族とも分かり合おうとした主人公の半生に心を揺さぶられた。そして「十字架」という一冊の小説の鑑賞は、この森の墓地の訪問によって完結した。

 

 

 

アスプルンドは墓地に緑をふんだんに使った。

 

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針葉樹林に囲まれた墓石。その美しい光景に息をのむ。

 

 

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スウェーデンでは「人は死ぬと森へ還る」という死生観がある。

森の墓地を一人歩いていると、ああその通りだ。人は森へ還るのだと、不思議とそんな気持ちになった。

 

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時折、雲の隙間から差し込んだ日差しが森を照らす。

ああ、だからここは森の墓地なのだとわかった気がした。

 

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再び十字架に戻ってきた。

 

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丘で遊んでいた子どもたちはもういなくなっていた。

 

時計も洗練されたデザインだ。黒色の円盤に金色の針。

より一層この墓地の荘厳さを引き立てている。

 

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ストックホルムの南約5kmにある森の墓地-Skogskyrkogården-

 

世界遺産でもあるこの墓地は重松清の「森の十字架」の自殺したフジシュンが旅の終着点に選んだ場所でもある。

 

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あの若くしてなくなった世界的なスウェーデン出身のDJ Aviciiもここに眠っている。

 

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ある人にとっては亡くなった大切な人が眠る場所。ある人にとっては憧れの建築。そしてある人にとって死ぬまでに訪れたい場所でもある。

 

そしてその目的がなんであれ、森の墓地は訪れる人々にこう優しく囁く。

 

「おかえりなさい。ここは森の墓地。誰もが皆、死んだ後に還る場所。あなたもいつか、またお会いしましょう。」と。

 

 

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 秋の冷たい風から身を守りながら、僕は駅へと向かった。

 

ここは森の墓地。

 

死者が還る場所。

 

スウェーデンを訪れた際にはぜひ足を運んでみてほしい。

 

いや、いつかはあなたもここに運ばれてくるのだろう。

 

 

なぜなら森は、死者が還る場所なのだから。

 

十字架 (講談社文庫)

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