漫画家のさくらももこさんが8月15日、乳がんのため亡くなった。
ちびまる子ちゃん、コジコジをはじめ、独特の世界観やセリフで昭和から平成に至るまで我々を魅了し続けたさくらももこさん。
小さい頃からずっと日曜日の夕方6時にはテレビの前に集まり、ちびまる子ちゃんを見て、そしてサザエさんを見て休日が終わる寂しさを感じていたことを思い出した。あのまるちゃんの小学生離れした少し毒のあるセリフと愉快な仲間とのエピソードが面白く、毎回クスッと笑わされていた。
Twitterにはさくらももこさんの作品の名言が投稿されている。僕はコジコジについてはあまり知らなかったのだが、コジコジのまっすぐなセリフについウルっと来てしまった。
さくらももこさんの人生観好きでした pic.twitter.com/GdQxm4ur0V
— ∠くの (@kuno_toriazo) 2018年8月27日
どうしたらこんな言葉が思い浮かぶのだろう。とてもじゃないが普通の人間にはできない。さくらももこという特別な才能を持った人間だからこそ書けた作品であることは間違いない。
しかしさくらももこさん本人は、自分に自信のない内気な女性であったという。 漫画家になりたいという夢を持ちながら、自分よりも才能のある人ですらなかなか成功しないという現実に早くに気づき、自分の才能に見切りをつけていたさくらさん。
そんなある日、彼女の人生を変える出来事があった。
さくらさんは高校生の頃、小論文模試を受けたことがあった。 制限時間1時間で、「わたしのすきな言葉」について書きなさいといったテストだった。
さくらさんは特にやる気があったわけではないが、どうせやるなら好きに書いてやろうと、面白半分でこのテストに取り組んだ。
そしてこのテストの結果が思いのほか好成績で、採点者からは絶賛のコメントが寄せられていた。
さくらももこが高校生の頃、小論文模試を受けたら採点者から「現代の清少納言」と絶賛され、それまでさほど褒められることのなかった彼女が自分に自信を持つ、というエピソードがある。彼女の才能に最初に気づいたその採点員こそが彼女の生みの親で、その才能に気づくことこそが教養だよなぁ。
— silver_romantic (@silver_romantic) 2018年8月27日
さくらももこ先生が、エッセイ漫画を描くきっかけになった作文テストのエピソード。
才能って、ときには自分では気付かないものだったりするんでしょうね。いつ、どこで、どういう形で花開くけわからん。だからこそ、いろんな人の目に触れてもらうことも大事。 pic.twitter.com/fxAoeZMiMc
— いしかわごう (@ishikawago) 2018年8月28日
「書き流したエッセイ調の文体が高校生とは思えない」「現代の清少納言」
などなど。
ただの小論文の模試の、顔も知らない採点官からのコメントではあったが、普段あまり褒められる経験のなかったさくらさんはとても自信をもらったという。
もしかして私にはエッセイの才能があるんじゃないのかな。
そうだエッセイを漫画にしてみたら、うまくいくんじゃないかな。
私が見たり聞いたり体験したことを、エッセイのように漫画に書けば、みんな楽しんでくれるんじゃないかな。
小論文の模試を受けて褒められたという些細なきっかけで生まれた高校生の頃のちょっとした思いつきが、その後のさくらさんの人生を大きく変えることになった。
その後短大を卒業し出版社に入社したさくらももこさんは、漫画への夢を捨てきれずたった2ヶ月で退職。仕事を辞めた5月からたった3ヶ月後の8月に、リボンでちびまる子ちゃんの連載が始まった。
その後ちびまる子ちゃんはアニメ化され、コジコジもアニメ化。エッセイ集も大人気となり、さくらももこさんは言うまでもなく作家として大成功を収めた。
そしてその大成功の原点は、あの高校生の頃に受けた小論文の模試にあったのである。
人に褒められるという経験はとても大切なものだ。僕らは誰かに認められることで、自分の才能を自覚し、もっと頑張ろうという気持ちになれる。
僕なんかは単純な人間なので、褒められるとすぐに調子に乗ってしまう。幼稚園の頃、 おばあちゃんと公園でキャッチボールをしていたときに、近くにいた知らないおじさんに君の球はすごい。プロ野球選手になれるよ。と言われ本気でプロ野球選手になれると思いこみ、少年野球のチームに入った。
百ます計算をクラスの誰よりも早く終わらせたと隣のおばちゃんに自慢し、それじゃあ弘は将来科学者になれるね。と言われ本気で科学者になってノーベル賞を取ろうとめちゃめちゃ勉強した。
中学生の頃、何の気なしに書いた絵が美術の先生にとても褒められ、地域の展覧会に出品された。君はなかなか味わいのある絵を描くねと言われた僕は、たったそれだけで自分は画家としてやっていけるんじゃないかと思い込み、絵の書き方を書いた本を買い一人練習したこともあった。
僕は本当に単純な人間なので、褒められたことばかり覚えている。逆に怒られたりけなされたりしても、そのことはあまり覚えていない。100回怒られたとしても、1回褒められるだけで自分は才能があるんだと思い込み、とても嬉しく満たされた気持ちになっていた。
結局、プロ野球選手にも、画家にも、科学者にも今のところはなれていないけれど、褒められてやる気になって、打ち込んでみて、色々得意なことは見つかった。きっとあの時の見知らぬおじさんも、もう亡くなった隣のおばちゃんも、とっくに定年退職した美術の先生も、僕を褒めたことなんて覚えてないだろうけど、当時の僕は飛び上がるくらい嬉しかったんだ。あの時、僕は自信がついた。そしてグンとやる気が出て、新しい自分の才能を開花させようと必死になって努力をした。今思い返せばただの僕の勘違いだけど、あの満ち足りた気持ちで何かに打ち込んだ充実した日々を今でも思い出す。
それくらい褒められるという経験は人をやる気にさせる力がある。
皆さんにもきっとそんな経験はあるはずだ。誰かに褒められたりして、自分は案外こんな才能があるのかもしれないということに気がつき、頑張ろうと決意したことが。
他人に認められるということはそれほど大きな意味を持つ。自分一人で黙々と努力を重ねていても、人から認められることがなければ続けるのはとてもつらい。
そして褒めた側は大したことを考えていなくても、褒められた側は想像以上に嬉しいものだ。人は人に認められることでより一層やる気になる。そして人に褒められたという経験はその人の先の人生すら変えてしまう力があるんだ。
そして人生を変えるようなきっかけがいつどこに転がっているかは誰にも分からない。
それはサササッと片手間で絵を描いた瞬間であったり、転がってきたサッカーボールを蹴っ飛ばした瞬間であったり、なんとなく手に取ったギターを鳴らしてみた瞬間であったり、何の気なしに受けた小論文の模試であるかもしれない。
どこに人生を変えるきっかけがあるかは誰にも分からないんだ。
さくらももこさんはなんとなく受けた小論文の模試で褒められて自信がつき、彼女の人生は大きく変わった。
僕らにだってきっと何かしらの才能はある。ただそれが見つかるかどうかは分からない。明日にでも見つかるかもしれないし、下手したら見つからずに一生を終えてしまうかもしれない。
その機会を逃さないためには、いつでも気がつける準備をしておかなくてはならないと僕は思う。
嬉しかったり、楽しかったり、興奮したりする瞬間のどこかにそのきっかけが隠されているかもしれない。
僕が思うに、それを見つけるにはいろんなことにチャレンジするのが一番だと思う。つまり数をこなすということだ。
例えば将来プログラマーになると意気込んで、プログラミングの勉強だけしていても他の分野での才能は見つかりにくいだろう。ただ一つのことに集中するのではなく、いろんな分野に手を出すことで思いもよらない才能に出会える可能性はある。そしていろんな才能を組み合わせることで唯一無二の人間になれると僕は信じている。
歌が好きだから歌手のオーディションに応募してみたり、 絵を描くのが好きだから自分で漫画を書いてみたり、本が大好きだから自分で文章を書いてブログに投稿してみたりなどなど。いろんな分野に挑戦し、数を打つことで些細なきっかけから今まで気がつかなかった自分の才能に出会えるはずだ。
事実、そうしてさくらももこさんの才能は開花した。
さくらももこが伝えたかった人生がこの1話にすべて描かれている#わたしの好きなさくらももこ
『ちびまる子ちゃん12巻』
「まる子、自分のみらいを見に行くの巻」より pic.twitter.com/hXHI4u7TiL— Tomohisa-Shinkai@ニコ生ラジオ配信 (@tomoyan2013) 2018年8月28日
僕も些細なきっかけを逃さず、自分の才能を見つけられたらなと思う。
最後に。さくらももこさん、今ままで素敵な作品を提供してくださりありがとうございました。ご冥福を心よりお祈りいたします。