先日こんな質問が届いた。
好きな人がいてやっとのこと付き合えてもその途端関心がなくなり冷めてしまう。そんな調子でそもそも自分は人が好きなのかどうかさえ疑うようになってしまったとのことだ。他にも「付き合ったはいいけど自分がほんとうに相手を好きなのか分からない。」「両思いになった途端冷めてしまいその理由が分からない。」など似たような相談が寄せられた。
僕には彼らの気持ちが痛いほどわかる。
実は僕も彼らと全く同じ症状に悩まされていた。
小学校四年生の時、好きな女の子ができた。同じクラスの子で、よく勉強もでき走るのが得意な活発な女の子で、地域の陸上大会の学校代表の選手にも選ばれた。そして僕も当時は足が速い方で、幸運なことに彼女と同じ種目100m走の学校代表になり、夏休み明けの9月から大会のある10月末まで毎日放課後に校庭で練習した。
夢のような時間だった。普段はクラスで話すことのない彼女と練習中は自然に話すことができる。僕らはどちらも入賞を期待されていた。その自覚もあったし、何としても僕ら二人で賞状を取ってやろうと互いにタイムをとったりスタートの練習をしたことを覚えている。
10月の半ばにもなると日が沈むのが早い。他の生徒が練習を切り上げ帰る支度をする中、僕と彼女と先生だけが校庭に残り、大会に向けラストスパートをかけていた。一人で走るよりも隣に誰かいた方が速く走れる。男の僕の方がタイムは速かったので、彼女がスタートした少し後に遅れてスタートした。
太陽は西の地平線に沈みかけていた。西陽が二人を照らす。みんな帰った校庭に二人の駆ける音だけが響く。半分を過ぎた頃、彼女に追いついた。抜かす瞬間、彼女の息遣いが聞こえた。荒く息を吸う音。僕の呼吸と彼女の呼吸が重なる。走る彼女の顔を覗き込みたい気持ちを抑えながら、その横をできるだけ顔を崩さぬよう僕は全力で駆けた。
今思い返せば、あれは僕の小学校時代の青春のひと時だった。その後一緒に帰り、日没前の地面と空の境界が曖昧になる不思議な時間を二人で歩いた。僕はその時間が好きで、友達と公園で野球した帰りが毎回だいたいその時間帯で、一人でなんとも言えない幻想的な雰囲気に浸るのが好きだった。そんな僕だけのお気に入りの時間を誰かと共有していることが不思議で、さらにそれが特別な好意を抱いている相手だった。
大会頑張ろうなんてことを話しながら帰ったんだと思う。心のそこから幸せな気持ちに浸ったのを覚えている。結局僕らは共に入賞した。そして冬が訪れた。そして年は明け1月も過ぎ訪れた2月14日。いそいそと帰ろうとし、下駄箱を開けるとそこにはチョコレートが入っていた。例の彼女からだった。
この話は自慢でもなんでもないのだが、この時期に僕ははっきり自分でも理解できない自分の性格を自覚した。実はあの陸上大会以降、どういうわけかすっかり僕は彼女に対する好意を失っていた。実は陸上大会の日、どうやら彼女は僕に好意を抱いているらしいことが風の噂で伝わってきていた。
小学生というのはその手のゴシップが大好きだ。一旦そんな噂を聞けばとことん渦中の人物をいじる。大会中にも関わらず男友達なんかは「お前あいつと最近仲良いよな!よかったじゃん両思いじゃん!ヒューヒュー!」なんて言ってきて、同じ控え場所にいた彼女は「ちょっとそういうのやめなよ!照れてるじゃん!」なんて注意する女友達に囲まれて顔を赤らめていた。
その瞬間に僕が長きにわたって抱いてきた好意が瞬時に冷めた。そして迎えた2月14日。下駄箱に入ったチョコレート。それを見て僕は「面倒なことになったな」としか思えなかった。
そしてこの経験も1度目ではなく、実は昨年もバレンタインデーに同じ経験をしていた。その時もちょっと気になっていた女の子からのチョコで、飛び上がるくらい嬉しかったはずなのにそれを見た瞬間に熱が冷め、結局中の手紙も読まず弟にチョコをあげた。今思えば当時の僕に真っ当な人の心はなかった。冷酷、人でなし、どう言われても仕方がない。
そんな僕の昨年の行動を噂で聞いたのか、下駄箱の先には体の大きな彼女の友達が待ち構えていた。
「ちゃんと自分で食べて返事するんだよ!わかった!」
なんて言われてチョコを無理やりランドセルに詰められた。僕は顔を真っ赤にして帰った。そして結局自分では一つも食べず、昨年同様弟にあげ、手紙は一読して捨て、返事もせず、何もなかったかのように平静を装い、次の日から学校に向かったのだった。
そんなことが中学校でもあった。少し気になってた子とうまく行き始めた途端に興味を失い、何もないまま終わった。実際に呼び出しに応じて直接告白を受けた経験もあったが、返事はNO。自分でもよく分からなかった。とにかく念願が叶った瞬間、一気に興味を失ってしまうのだ。
そして時は流れ、僕は大学生になった。それなりに色々な人と関わり、自分を客観的に見つめることもできるようになった。今思い返せば当時の僕の行動は血も涙も無い行動であった。自分に好意を抱いてくれた子に対しては断るにしても誠意を持って向き合わなければならない。
そして今になって、なぜ大好きな人と付き合った途端に冷めてしまうのかについても自分なりの答えを見つけることができた。
それは、僕のゴールが両思いになる、その一点にしかなかったからだ。
僕にとっての好意はみな、まだ自分に好意を向けていない人に対して抱いていた。共感してくれる人も多いと思うが、恋愛は付き合うか付き合わないかのシーソーゲームの時期が一番楽しいという人が多い。事実僕は、その付き合うかどうかの瀬戸際の時期に魅力を感じていたのだ。
あの校庭を駆け抜けた日は、その絶頂にあったと言える。僕はうっすら彼女の好意が自分に向いてきていたことを感じ取っていた。そんな中、とても綺麗な夕焼けの中で僕らは共に練習をし、一緒に帰った。僕にとってはあれが全てだったのだ。他の場合も全てそうだった。
学校でたまたま話しかけるチャンスがあって盛り上がったとか、委員会が同じで月に一度の話し合いで隣に座るだとか、部活がバレー部で僕の野球部のグラウンドの周りを走るからその時にアピールするだとか。そんな淡いいかにも青春らしい瞬間を僕は楽しんでいた。
ただそこでおしまいだった。綺麗な瞬間を過ごし、相手の好意を勝ち得た瞬間、僕にとっての恋は終わった。なぜならば、一旦付き合ってしまえばそういうワクワクする時間はもう訪れない。後に残るのは惰性だけ。そして思春期らしく、周りの目も気になっていた。小中のコミュニティは狭い。付き合えばすぐに広まり、冷やかされる。周りにはクラスメイト同士で付き合っている人もいたが、もし別れたら気まずく無いのかなといつも思っていた。そういったコミュニティにいづらくなるリスクも気がかりで、僕は付き合うにまで至ることができなかった。
この姿勢は明らかに失礼だ。相手が好意を抱いているのに、自分はあたかも相手のことが好きだと見せかけ、実はその過程にしか興味がない。これは失礼なことなんだ。自分の振る舞いには責任がある。相手の子はやっと付き合えて楽しい日々を送れると期待してやってくるのに、当の好意を仄めかしていた男にはその気がない。念願が叶っと思った瞬間に突き放される。仮に刺されたとしても文句は言えないくらい僕はひどいことをしてきたということを今になって自覚した。
質問者さんももしかしたら付き合うことが目的ではなく、その過程が目的になっているのかもしれない。いかにして相手の好意を勝ち取るか。それに熱中することを好きと勘違いしているのかもしれない。
これを避けるいい方法がある。それは相手と付き合って具体的に何をしたいかを考えてみることだ。ただ美人を連れて歩きたいとか、体の関係を持ちたいとかしか思い浮かんでこない場合は、それは本当の好意では無い可能性が高い。
もし彼女が好きなあの食べ物を一緒に食べにいって笑っているとことが見たいとか、一緒に映画を観て感想を語り合いたいとかだったら、それはきっと本当に好きってことだと思う。
両者の違いは相手を思いやれているかにある。付き合えて満足して冷めるタイプの人間には相手を思いやる気持ちがない。付き合ったが最後、そのあとはどうでもいい。大事なのは相手を思いやり、尊敬する気持ちだ。喜んで欲しいとか、笑顔が見たいとか、そういう気持ちなんだ。
それさえあれば、付き合ったともきっとお互いにとって良好な関係を続けられると僕は思う。
以上が「なぜ大好きな人と付き合った途端に冷めてしまうのか」という問いに対する僕の回答だ。
同じ悩みを抱えているみなさんのお役に立てれば幸いです。
それでは良い夏を。