竜馬がゆく。僕らもゆこう。

 

 

大政奉還

 

 

まっとうに義務教育を終えていればこの言葉を知らない人はいないだろう。

 

慶応3年10月14日。江戸幕府第15代将軍徳川慶喜は政権返上を明治天皇に奏上し、徳川265年の歴史に自ら幕を下ろした。

 

歴史の教科書には大政奉還についてこの程度のことしか書かれていない。

 

この日本史上最大の革命のために数多の志士が血を流し戦い、命を落とした。

 

その累々たる屍の上に大政奉還は成った。

 

 

将軍が自ら政権を朝廷に返上する。言ってしまえばそれだけのことだが、最後の将軍慶喜の心中は筆舌に尽くしがたいほど掻き乱れていたはずだ。しかし時代は動いていた。長きに渡る泰平の世をぬくぬくと生きてきた幕閣は全く機能せず、黒船の来航以来、外国勢力の為すがままにされてきた。このままではいかんと尊王攘夷を掲げる志士が各地で決起し、その中から倒幕を目論むものまで現れた。

 

その風雲児、薩長二つの雄藩は長きに渡る対立を乗り越え、共に幕府を討とうと軍隊の準備を進め、明日にでも京の街は戦火に包まれるのではと緊張が走っていた。

 

そんな爆弾に火がつく前夜。慶喜は政権の返上を決定。

 

これにより無用な血で血を洗う戦は避けられ、それと同時に徳川家は江戸の平和を二百数十年に渡り守り抜いたとして、慶喜の名とともに歴史に刻まれることとなった。そして政権は朝廷へ。

 

日本を二分していた佐幕派勤王派、どちらの勝ちでも負けでもない。

そう。大政奉還は真っ二つに割れた思想がぶつかり合う、史上最大の内戦を避けるための唯一の案だったのだ。

 

そしてこの案はある男によって考案された。

 

姓は坂本、名は竜馬。この稀代の寵児は万人に愛され、日本に愛され、そして歴史に愛された。

 

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革命は流血なくして成り立たんと、歴史は物語ってきた。大化の改新、承久の乱。どれを取っても大規模な戦が起き、勝者が次の時代のトップに君臨し、敗者は新時代に不要とされ、ある者は首を取られ、ある者は自ら命を絶ち、歴史の表舞台から姿を消した。

 

竜馬もかつては戦を以ってして革命は成ると考えていた。土佐藩に生まれたこの男は幼少期は「よばあたれ」(寝小便小僧)とバカにされどこか抜けていると言われていたが、剣術を習い始めてから様子は一変。瞬く間に頭角を現し江戸に剣術留学。北辰一刀流の免許皆伝を受け剣豪としてその名を轟かせた。

 

黒船が来航した際には、江戸を抜け出したのが見つかれば罰を受けるのも顧みず単身浦賀へ向かい、見たこともない巨船に度肝を抜かれた。

 

剣術ではどうにもならない。

 

武士でなおかつ一流の腕を持っていた竜馬はすぐに剣に見切りをつけ、異国と渡り合うには強い海軍が必要だと感じ、海援隊を設立。

そこに到るまでに勝海舟や数多の歴史上の人物との出会いがあった。

 

俺は議論はしない、

議論に勝っても、

人の生き方は変えられぬ。

 

竜馬は話術の名人だったと言われる。辿々しい土佐訛りで例え話をふんだんに用い、聴くものは皆その魅力に引き込まれ数分と経たぬうちにその絶妙な例え話に声をあげて笑い転げたという。そして自分の考えと真逆の考えを持った相手と対峙する際にはぐうの音も出ないほど相手を論破するのではなく、聞き手に回りながら随所で本質を突く意見を飛ばし、相手が自ずとどちらに分があるのかを悟るように話を進めた。

 

その器は海よりも大きく、志は天より高い。皆竜馬の人柄に惹きこまれ、一人、また一人と志を共にする仲間が増えていった。

 

海援隊を強化し、薩長に手を結ばせ、公家も味方につけた慶応3年10月14日。竜馬の夢は遂に叶い、大政奉還は実現された。

 

 

 

大政奉還後、竜馬は新政府の閣僚を自ら選抜し、西郷隆盛に提出した。しかしそこにはあるはずの竜馬の名はなかった。

 

坂本竜馬は1人で大政奉還を成し遂げたと言ってもいい男だ。そして歴史上、革命を起こした者は後の政府のトップに君臨してきた。

しかし、竜馬は自らその座を降りた。

 

「役人にならずに、お前さァは何バしなはる」

 

西郷の問いに対し、竜馬は「世界の海援隊でもやりましょうかな」と答えた。

竜馬の目は世界に向いていた。維新後の新政府の役人になど興味はない。この男は幼少期から海が大好きだった。

 

ーこれでようやく船でどこへでもいける。

 

旧態依然の幕府の元では自由に外国に行くことは禁止されていた。この男にとって大政奉還は、自分が自由に海を渡るために手段にしか過ぎなかったのかもしれない。

 

しかし竜馬の夢は叶うことなく、その命は流星のごとく天に召された。

京にあっては竜馬は政治犯であった。新撰組が街中を徘徊する中、竜馬は護衛すらつけず悠然と歩いていた。

ある日、狭い路地で新撰組と遭遇し、「土佐の坂本殿ではござらぬか」と殺気立った隊員に呼び止められるも

  

「何だ。俺は忙しいんだ。」

 

と見向きもせずに一蹴。その姿に殺気を抜かれた新撰組はただただ遠ざかる竜馬の背中を呆然と眺めていたという。

 

わしには、天がついちょる。大事をなそうとする者にはみな天がついちょるもんじゃ。

 

龍馬は自分の命は天が預かっていると常日頃言っていたという。決して死を恐れず、短い生涯に大事を成さんと幕末の日本を駆け抜けた。

 

大政奉還後、竜馬は新政府の経済政策を任せるため、ある人物の元を訪れた。福井藩士三岡義知、のちの由利公正である。長きに渡る謹慎生活を送る三岡の元を竜馬が訪れ、新たな時代の到来を告げ、三岡は一晩のうちに竜馬に惚れ込んだ。別れ際、竜馬は三岡に自分の写真を手渡した。

 

「おれの写真さ。この先どうなるかわからん。万一のときの形見だと思ってくれ」

 

それ以来三岡は宝物のように竜馬の写真を肌身離さず持ち歩いた。

竜馬が三岡の元を発ってから10日ほど経ったある日のこと、三岡は連れの若党と共に夜道を歩いていた。幽閉の身ながら藩の家老に招かれ情勢を説いていたのである。

その帰り道、十五夜の月がかかる静かな美しい夜に、急に大地の轟と共に突風が吹き荒れた。足を踏ん張り必死に耐え、風は去った。が、あれほど大切に持ち歩いていた竜馬の写真がない。

 

 

従者の提灯の明かりを頼りに小一時間ほど土手を探したが遂に見つからずに終わった。

 

竜馬の魂が三岡の元まで駆けつけたのであろうか。突風が吹き荒れたのとちょうど同じ時刻、坂本竜馬は齢31にしてこの世を去った。

 

 

 

 

慶応31115日の夜、坂本龍馬は暗殺された。京都の近江屋の一室で同志・中岡慎太郎と新政府についての構想を練っていた最中、凶刃が二人を襲った。下手人については諸説あるが、乱入してきた男らはまず竜馬の額を斬り、続けざまに後頭部、背中を斬った。中岡も全身を数十カ所斬られ、致命傷を負わせたと確信したのか、下手人たちは引き返した。

 

北辰一刀流の竜馬ではあったが剣術ではことを成せないと、黒船来航以来、刀を遠ざけ、近江屋事件当日も愛刀の陸奥守吉行を自分から離れた所に置いており、刀を抜く間も無く太刀を受けた。竜馬は顔から手まで、真っ赤な血と白い脳漿で濡れていた。

 

 

「慎の字、俺は脳をやられている。もういかぬ。」

 

それが竜馬の最期の一言だった。

ここに徳川二百数十年の幕府をひっくり返した一人の男の生涯が幕を閉じたのであった。

 

 

一つの時代を終わらせ、新たな時代の幕を明けるため、多くの命が失われた。竜馬の幼馴染で土佐を帰るべく暗殺に奔走しその罪で自ら腹を切った武市半平太。彼の元で暗殺を働き「人斬り以蔵」の名で恐れられ、拷問の末、打ち首、獄門に処された岡田以蔵。竜馬とともに海軍創設に尽力し、航海中に難破し夢半ばで溺死した池内蔵太。そして対する天然理心流、豪傑の剣の使い手新撰組局長・近藤勇、鬼の副長・土方歳三。一番隊組長および撃剣師範・沖田総司。そして竜馬と共に近江屋で斬られた中岡慎太郎は奇跡的に生きながらえるも事件の2日後に死亡。

 

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中岡慎太郎

 

名だたる志士が夢半ばにして若くしてこの世を去った。

 

 

武市半平太 享年37歳

岡田以蔵 享年28歳

池内蔵太 享年26歳

近藤勇         享年33

土方歳三      享年34

沖田総司      享年26

中岡慎太郎  享年29

坂本龍馬      享年31

 

 

己の信ずるものに従い、死すら厭わず天命を全うした。

 

 

僕らは今この時代を、どう生きればいいのだろうか。

己の生涯を賭けれるような、そんな夢を抱いているだろうか。

人生は短い。

やるべきことはたくさんある。時代は変われど、彼らの生き様は僕に深い感銘を与えてくれた。明日をも知れぬ幕末を生きた彼らは、たとえ今日命が天に召されようと、悔いを残さぬよう最後の最後まで命をふりしぼった。

 

竜馬がこの時代に生きていたら、彼は何を思うだろう。

大政奉還を進言するために京にいる土佐藩主を尋ねるために乗り込んだ船の中で、竜馬は新政府の条文を考案した。

それを元に彼の死後、武士や農民といった階級は撤廃され、皆平等でなりたいもになれる世が実現された。

 

そして現代、僕らは何にだってなることができる。身分も出身も関係ない。

しかし、何もしなければ何者になることもできず、そのまま生涯を終えるだろう。

 

 

坂本龍馬という1人の男の生きざまは、現代を生きる僕らに大きな夢を抱き生きることの大切さを教えてくれた。

 

 

世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る

 

 

竜馬がゆく。僕らもゆこう。

東京の夏空はどこまでも晴れ渡っている。

 

 

全8巻計3200ページ以上。読了までひと月半。

坂本竜馬と共に幕末の乱世を駆け抜けた、素晴らしい時間だった。

 

 

 

坂本竜馬と司馬遼太郎に敬意を表して。

 

 

新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)

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