目を覚ますと知らない路地に倒れていた。
目の奥がズキズキと痛む。
あたりはまだ暗かった。
僕は必死に何が起きたかを整理した。確か昨日は友達と飲みに行って、まだ物足りないから1人近くの飲み屋街に足を運んだのだった。
体すっかり冷え切っていた。顔は凍りつき、なぜかぐっしょり濡れている足には感覚がない。
頑張って体を起こすと脳みそがぐらっと揺れ、視界がぐるぐる回った。
薄暗い店内、タバコの煙、乾いたグラス。昨晩の思い出が次々と蘇っていく。
重い腰をあげ立ち上がり呼吸を一つ。
急に吐き気が込み上げ、僕はその場に嘔吐した。
胃のなかが空っぽになるまで、嗚咽を漏らしながら吐瀉物をぶちまけた。
僕の横をゴキブリが二匹通って行く。
あたりを見回すと、どうやら昨日飲んでいた店の裏だった。スマホを開くと時刻は四時半を回ったところだった。
LINEを見ると、知らない男女から何件も連絡が入っている。
”今日はありがとう!また飲みに行こうね。”
”お前大丈夫?ちゃんと帰れた?”
酔った勢いで連絡先を交換した人たちのようだ。アイコンの顔写真をみて必死に記憶を手繰り寄せる。1人で飲んでたら話しかけてくれたんだっけ...
こういった経験は初めてではない。1人で飲みにいったり踊ったりしに行き、男女と連絡先を交換することはよくあった。だが酒でできた仲はすぐに崩れ去る幻だ。
シンデレラの魔法は0時に解けたが、酒の魔力は酔いが覚めれば解ける。
現実に戻った彼らは各々日常に戻っていった。僕だけがこうして路地裏に倒れ、夢から覚めずにいる。
こういう場所で仲良くなるのは束の間で、決して次などない。またひとつ、何も積み重ならない夜を過ごしてしまった。
バッカス(酒神)はネプチューン(海神)よりも多くの者を溺死させた。
イタリアの将軍 ガリバルディ
僕も酒の力に飲まれ、溺れ、冷たいアスファルトの上に打ち上げられた。
しばらくゴミ箱の上に腰掛け気分が優れるのを待った。新聞配達のバイクが忙しそうに通り過ぎて行く。マンションの部屋にも明かりがつきはじめる。
僕は再び吐き気を催し吐いた。でもそれですっかり気分がよくなった。さあ電車に乗って帰ろう。
駅に向かう途中、自転車に乗る高校生たちとすれ違った。これから部活なのだろう。
思えば数年前は、僕も彼らと同じように早朝に家を出て部活に向かっていた。今よりもずっと健康で、前向きで、将来の不安なんて何にもなかった。きつい練習に耐え、眠気と戦いながら勉強し、友達とたわいも無い話で盛り上がり、今を必死に行きていた。
ところが今はどうだろう。
あの頃僕が憧れていたような、勉強に打ち込んで小説をたくさん読む、文化的な学生像とは遠いところにいる。酒に酔った翌日は著しく生産性が低下する。起きた時にはもう午後で、気だるさと頭痛がいつまでも残る。何かしなくてはと思いながらも何もできず、いつまでも布団の中で眠り、貴重な休日が無為に過ぎて行く。
電車に乗り、隅の席に座る。休日のこの時間に電車に乗るのは、朝帰りの大人か部活に向かう高校生くらいだ。向かいの席に座る大きなエナメルバッグを持った高校生は単語帳を読んでいた。僕と彼の間には、見えない壁があった。
僕は今、正しい道を歩んでいない。あるべき姿から外れ、暗い沼の底をぐるぐると、同じ場所をさまよっている。
だけど、こういう経験はきっと無駄では無いはずだ。確かに何にも積み重ならないけど、酒の力を借りてでも、知らない人と話し、僕が一生知ることのなかったはずの話を聞くのは楽しい。たとえ何を聞いたか断片的にしか覚えていなくても、淡い思い出として僕の心には残っている。
きっといつか...こんな毎日を懐かしむ日が来るのだろう...
時間が山ほどあり、酔いつぶれ、喉が枯れるまで話したこんな日を、羨む日が来るのだろう...
だけどそれはいつなのか。もう二度と、こんな自由な、それでいて退廃的な、一種の文学的な情緒に満ちた瞬間は、社会に出たら訪れることはないのだろうか。
だったらこうして今を楽しむのも、決して悪いことではないのだろう...
こんなことを考えながら電車に揺られ、僕は最寄りまで眠った。
家に帰り、シャワーを浴びる。パジャマに着替え、水を飲み、布団に入る。
髪の毛に染み付いたタバコの匂いが、いつまでも残っていた。