一月某日都内某所。
僕は生まれて初めてインターンの選考に行った。
このインターンは採用されると海外にいけるというもので、費用のほとんどを会社が負担してくれるというとても贅沢なものだった。
たまたまfacebookでその広告をみた僕は、これはぜひ行きたいとその場ですぐに応募、一週間後、一次の書類選考に合格したメールが届き、二次選考に向かったのだった。
夕方16時、オフィスに到着し、受付を済ませる。受付の女性はとてもきれいだ。これが大企業の力というものか。中に入ってオフィスを見回すと、かなり解放的な空間になっていた。所狭しと机が並べられた空間ではなく、大きなテーブルに社員が好きな位置に座りパソコンで作業をし、コーヒーメーカーのそばで談笑し合っているのが見える。社員は皆私服で、髪を緑に染めている男性もいた。なんて自由な会社なのだろう。
定時になると名前を呼ばれ、他の学生とともに会議室に連れていかれた。その場にいた学生は10人で、採用担当の方からインターンについての説明を受けた。
ここで気になったのが、採用担当のお姉さんが”日本”を”JP”と呼んでいたコトだ。同様にアメリカは”US”、イギリスは”UK”と。
うわ、意識高え……
その採用担当はこれから”JP”を発って”TPE”(台湾)に行くと言い残し、颯爽と立ち去って行った。
続いて面接官が来て、2グループに別れてグループディスカッションをしてもらうといい、僕らは五人五人のグループに分けられた。
僕のいたグループは男3人、女2人だった。そして案の定、いかにも海外行きまくってますよ感のある色黒で歯が白く前髪をあげたタイプの人たちだった。
小さな会議室に連れていかれ、自己紹介が始まった。
そして僕は、自分がいかに場違いなところにきてしまったかを思い知るのだった。
1人目の女性が意気揚々と立ち上がり、ハキハキと話し出す。
”Hello everyone. I was...”
???なぜ英語なんだ???これって英語話さなきゃいけないやつなのか???
何を隠そう僕の英語力はネイティブもびっくりの英検三級である。大学で絡んできた留学生と話して1ミリも理解できず適当に返事をしていたらいつの間にか”甲子園優勝投手”と勘違いされていたような英語力だ。当然この場を乗り切る力はない。
その女性はバーッと英語で自己紹介し、席に着いた。周りからは拍手が起こる。かろうじて聞き取れたのが生まれがNYで高3までアメリカにいたということだった。いうまでもないハイスペである。
続いて2人目の男性が立ち上がり自己紹介をした。
”僕は英語はあまり話せませんが...”
同志よ。俺と同じ仲間がいたとは。そうだよな。向こうで育ちでもしない限り英語なんか喋れないよな...
"父の仕事の関係でスペインに8年住んでいたのでスペイン語が話せます。"
ちょっと待ってくれ。お前もなのか。そういうと男は流暢なスペイン語を話し出した。流石にこんなの周りもわからないだろと思っていたら隣にいた男は微笑みながら大きく頷いているではないか。こ、こいつもスペイン語がわかるのか...なんでだ...なんでこいつらこんなにinternationalなんだ...
3人目の女性も同じような感じだった。国際系の大学に通い、一年休学して東南アジアに留学し、英語はもちろん、現地の言葉もいくつか話せるということだった。おまけにその女性は東大生だった。頭もいい上に外国語ペラッペラなんて卑怯じゃないか。勘弁してくれ。
続いて4人目、僕の番がやってきた。しかし残念ながら僕には語るべき特技などない。リアルROOKIESな中学時代を乗り越えた話しでもしてやろうかと思ったが、ここにいる生まれも育ちも完璧な彼らには公立中学校の話なんてたまにニュースで見るくらいだろう。仕方なく僕は自虐風に”僕は日本語ですら危うく他の国の言葉なんてちんぷんかんぷんですが大学でC言語というものを学んでおりますのでそちらの世界の言葉には少し詳しいと思います。”と大見得を切ってしまった。しかし彼らは皆文系だったらしく、理系の話しは新鮮だったようで、多少印象に残ったようであった。
しかし5人目の男がそれを全てぶち壊してしまう。
”私は●●という会社を20歳の時に設立し−”
???
”会社を動かす傍、先日○○社のインターンに採用され、最優秀△△賞をとり−”
???
”このインターンでは幼少期を上海、メキシコで過ごした経験を活かし、言語の壁を超えて活躍したいと思っております。”
どうりでさっき頷いていたわけだ。
起業、有名企業のインターン生、帰国子女。絵に描いたようなエリートである。どう頑張ったって勝てるわけがない。
そして自己紹介が終わり、グループディスカッションが始まった。
先の起業家が、始まるやいなやホワイトボードの前に立ち、与えられた問題を解決するために、英語で色々な分野に分割して描き始めた。そして1人づつ意見を聞いていき、まとめ上げる。
そこから先のことはよく覚えていない。
僕はすっかり周りに圧倒され、ほとんどまともな意見も言えず、与えられた30分が終わった。最終的に起業家と東大女子の出したアイデアを足した感じのものを解答としてまとめ、彼らが面接官にプレゼンをした。
ほとんど議論に参加しなかった僕だったが、彼らが導いた答えは非常に納得がいくもので、すっかり感心してしまった。が、面接官の評価は低く、僕の気づかない様々な問題点を指摘した。もっと論点を明確にし、解決に直結する意見を出して、時間内で意見をまとめられるようにしないと、うちじゃ使い物にならない。そう言っていた。
結果は1週間後に言い渡されるということだった。
僕らはオフィスを後にし、一緒に駅まで向かった。その途中みんなでフェイスブック交換しましょうという流れになり、彼らと友達になった。みんな例外なく海外でとった満面の笑みの写真で、僕だけそこらへんで適当にとった真顔のアイコンで気が引けた。おまけに彼らの友達の多いこと。1000人以上なんてのは当たり前で、起業家に至っては会社のアカウントも勧められた。確かGoogleの本に、現実世界でアクティブな人間はSNSでもアクティブだみたいなことが書いてあったが、きっと本当なのだろう。
そして解散の流れとなり、各々駅に向かった。その時後ろからふと話しかけられた。
”君、中島くんだったよね?確か理系の。Cやってるって聞いたけど、うちにエンジニアとして来ない?”
例の起業家だった。
”△△の構築とか〇〇のアルゴリズム作れたりする人探してて。どうかな?”
恥ずかしいことに、僕は彼の話す専門用語を何1つとして知らなかった。
ごめん、力になれそうにない。そう言って僕はその場を後にした。
あたりはすっかり夜になっていた。
仕事帰りのビジネスマンと、一緒に駅に向かう。
ビシッとスーツを決めている人、ラフな格好の人、高いヒールを履いている人。彼らは皆こんな厳しい戦場を生き抜いてきたのだろうか。誰にも負けない得意分野があり、それを活かして戦っているのだろうか。
僕は自分のあまりの無力さに絶望した。
そして一週間後、合否を伝えるメールが来た。当然僕は不合格。特に驚きもない。
まあ他の人たちは受かったよね。そう思ってFacebookを開くと、なんと全員不合格の報告をしていた。
彼らはTwitterのようにFacebookを更新する。インターンの出来や、勉強したことのなど。そんな彼らのタイムラインに”不合格でした”の文字が並んでいた。
あれほどの実力を持ってしても採用されないのか。一体僕はどうしたらいいんだ。外国語も話せない、議論の力もない、理系でありながら大したコードも書けない。一体こんなポンコツはどこに需要があるというのか。
浪人が決定した時並みの絶望感に打ちひしがれた。
Facebookに目を戻すと、彼らのタイムラインは不合格報告だけではなかった。”来週から〇〇のインターンなのでそちらに向け切り替えていこうと思います。”、”来月から××に短期留学行くので勉強します。”などなど。彼らは立ち止まる事など無いのだ。
海外経験もなく、社会経験も無い僕はどうすればいいのか。それはおそらく、普段の大学の勉強をまずはちゃんと理解することに尽きると思う。理系には理系にできることがある。無理して海外に行く必要も、計画もなしに起業する必要もない。僕は今与えられたものをきちっとこなし、余った時間で興味のある分野の勉強をしよう。きっとそうすれば、いつか彼らに追いつけるはずだ。
僕はそっとFacebookを閉じ、机に向かったのだった。
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