ボカロを初めて聴いたのは中学生のときだった。
僕の中学では以前この記事に書いたようにオタクに人権はない。
本を読もうなら異端扱いされ、ましてラノベなんぞ読んでいれば火炙りの刑に処される。
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況や、ボカロをや。である。
そんな中とある友人がこっそり僕に勧めてくれたのが初音ミクだった。
『僕ずっとこれ聴いてるんだ。すごい良いから中島くんも聴いてみてよ。』
しかし若かりし頃の僕はオタクに理解がなかった。試しに聴いてみたものの、およそ人間とは似ても似つかない甲高い声で歌うボーカロイドを耳が受けつけなかった。それに当時の僕は2次元の女を愛でるとはお前頭どうかしてんじゃねえのかという偏見を持っていたので、ボカロをはじめとするオタク文化にはかなりの嫌悪感を抱いていたのだ。そんなわけで中学の頃の僕はまったくボカロにハマらなかった。
しかし数年後、高校に入ると事態は一変する。高校でオタクは立派に市民権を与えられていたのである。というかむしろオタクの割合の方が高かった。中学の頃はクラスに一人いたかいないかだったのに高校ではなんと半分以上がオタクであり、校内放送ではボカロが流れ、休み時間にはみなラノベを読み、放課後は教室でオタゲーをしていた。そんな環境の中で僕は高校時代を過ごした。そして見事に周りに適応した僕は、立派なオタクになっていたのであった。
月に2度は秋葉原に出かけ、アニメイトやとらのあなでグッズを買い漁った。UFOキャッチャーに夢中になり、部屋にはフィギアやぬいぐるみが溜まっていった。親にはあんなにオタクをバカにしていた息子はどうしちまったのかと心配され、周りの非オタからは冷たい目で見られた。それでも構わず僕はラノベを読み、アニメを見て、仲間と推しについて語り合った。
そしていつしかiPodからはGReeeeNやMONGOL800、YUIは姿を消し、代わりに初音ミクやGUMI、巡音ルカが並んでいた。
tell your worldや天ノ弱を聴いてガチ泣きし、カラオケでみんなでリンちゃんなう!をシャウトして卒業式の日は行きの電車で桜ノ雨を聴き、窓の外を眺めながら涙を流した。
ボカロは僕の高校時代を語る上で欠かせないものになっていたのだ。
しかしあれから数年、ボカロは全盛期の輝きを失ってしまった。この原因の1つは、素人が一人で楽曲を投稿するハードルが高くなったことだと思う。
かつてのボカロ曲のPVの多くは静止画であった。
そのためボカロPはPVには絵を一枚用意するだけでよく、その分楽曲作成に力を注ぐことができた。
しかし何年か経つと状況は変わってしまう。ボカロ曲のヒットにはハイクオリティなPVが必要になったのである。
このような変化により、ボカロPとしての一歩を踏み出すハードルが高くなってしまったのだ。個人で生み出せるクオリティにはどうしても限界があり、キャリアがありチームで楽曲作成に取り組む集団には引けをとってしまう。そのため新たに生み出されるボカロ曲は年々減っていってしまったのだ。
それに加え、ニコニコ動画の衰退も原因としてあげられる。人気実況者が次々とYouTubeに流出し、ニコ動の利用者数は減少した。ボカロ曲の多くはニコニコ動画に投稿される。ニコ動の利用者の減少は最近の人たちがボカロを耳にする機会の減少に繋がってしまったのだ。
そして今ではカラオケのランキングからかつての人気ボカロ曲は消え、ボカロを歌うと周りから冷たい目で見られるようになった。
いまや”打上花火”や”アイネクライネ”で有名な米津玄師は、ハチという名前でボカロPをしていることを、一体どれくらいの人が知っているのだろうか。
もしかしたらボカロは既に役目を終えてしまったのかもしれない。
それでも、ボカロは僕の中で生きている。
”音楽は人生の目次”なのだ。
部活で疲れて死にそうなときも、試合前にテンションをあげたときも、勉強中も、女の子にフラれたときも、僕はボカロと一緒だった。
初音ミクの歌声は機械が作ったものだ。でも僕はその声に励まされ、元気をもらった。
僕が一番好きな曲、ODDS&ENDSにこんな歌詞がある。
ならあたしの声を使えばいいよ 人によっては理解不能で
なんて耳障り ひどい声だって言われるけど
きっと君の力になれる だからあたしを歌わせてみて
そう君の 君だけの言葉でさ
綴って連ねて あたしがその思想(コトバ)を叫ぶから
描いて理想を その思いは誰にも触れさせない
ガラクタの声はそして響く ありのままを不器用に繋いで
目一杯に 大声を上げる
ボカロとは何かをストレートに唄った素晴らしい歌詞ではないだろうか。
なぁみんな...またボカロ聴こうぜ。
そんなことを思いながら僕は1人、カラオケに向かった。