いいか、覚えておくといい。学問には王道しかない。
この王道が意味するところは、歩くのが易しい近道ではなく、勇者が歩くべき清く正しい本道のことだ。
学問には王道しかない。それは、考えれば考えるほど、人間の美しい生き方を言い表していると思う。美しいというのは、そういう姿勢を示す言葉だ。考えるだけで涙が出るほど、身震いするほど、ただただ美しい。悲しいのでもなく、楽しいのでもなく、純粋に美しいものだと感じる。そんな道が王道なのだ。
”喜嶋先生の静かな世界”は、とある大学生の橋場と、彼が所属する研究室の助手の喜嶋先生との物語だ。
橋場は根っからの理系で、大学にも数学理科で満点をとり入学した。そんな彼にとって学部の勉強はただの高校の延長に過ぎず、ただ退屈なだけだった。そんな彼の学問への失望が、喜嶋先生との出会いによって変わっていく。大雑把に説明するとこんなストーリーだ。
僕はこの本に高校二年生の時に出会った。確か教育実習に来ていた学生が、オススメの本の中にこの本のことを書いていたのだ。僕は中学生の頃からこの本の著者、森博嗣のファンだったので、すぐに手に取った。
森博嗣の描写には無駄がない。本文の多くは読むものの想像力に委ねられている。この物語でも、橋場の人間関係や研究内容、大学のある場所などの情報は最低限しか書かれていない。橋場も喜嶋先生もあまり多くは語らない。
この無駄のない簡潔な文章の中で、橋場と喜嶋先生の学問に対する情熱が描かれる。
その一冊を読むことで得られた経験が、たぶん僕の人生を決めただろう。意味のわからないものに直面したとき、それを意味のわかるものに変えていくプロセス、それはとても楽しかった。考えて考えて考え抜けば、意味が通る解釈がやがて僕に訪れる。そういう体験だった。小さかった僕は、それを神様のご褒美だと考えた。つまり、考えて考えて考え抜いたことに対して、神様が褒めてくれる、そのプレゼントが「閃き」というものなのだと信じた。
つまり、「研究」というのは、まだ世界で誰もやっていないことを考えて、世界初の結果を導く行為……、喜嶋先生のようにもっと劇的な表現をすれば、人間の知恵の領域を広げる行為なのだ。先生はこうもおっしゃった。
「既にあるものを知ることも、理解することも、研究ではない。研究とは、今はないものを知ること、理解することだ。それを実現するための手がかりは、自分の発想しかない」
「論文」には、世界初の知見が記されていなければならない。それがない場合には、それは論文ではないし、研究は失敗したことになる。もちろん、世界初の知見であっても、ピンからキリまである。それを評価するには、実はその発見があった時点では無理かもしれない。初めてのことの価値は、基準がないからわからない場合が多いのだ。特に、それが新しい領域における最初の一歩の場合にはそうなる可能性が高い。それでも、もちろん手応えというものがある。
橋場は喜嶋先生と出会い、大学院に進み研究の面白さに目覚め、博士課程に進むことを決意する。すっかり失望していた学問はこんなに自分を興奮させることに気が付いた橋場は、深く、深く、研究に没頭する。
とにかく四六時中、研究室で机に向かっている。一週間の半分は徹夜をする。食事をする暇も惜しむから、仕事をしながら飲み食いする。食堂へ行くのは、下の者、つまり、学生か低学年の院生ばかり。上の者ほど、朝が早く夜が遅い。歳の順に出勤し、若い順に帰っていくのだ。土日も祭日もない。盆も正月もない。そういった休日は、「雑入力」がないから、ゆっくり研究ができる、とみんなが楽しみにしている。
何がこんなに彼らを急き立てるのだろう?
どうしてここまで誠実になれるのだろう?
僕も最初はわからなかった。
とても不思議なことに、高く登るほど、他の峰が見えるようになるのだ。これは、高い位置に立った人にしかわからないことだろう。ああ、あの人は、あの山を登っているのか、その向こうにも山があるのだな、というように、広く見通しが利くようになる。この見通しこそが、人間にとって重要なことではないだろうか。他人を認め、お互いに尊重し合う、そういった気持ちがきっと芽生える。
森博嗣は作家である傍、とある国立大学の助教授も勤めていた。この本は、そんな森博嗣の学生、助教授時代を重ねて書かれたものだろう。
学問に没頭する楽しさだけでなく、この世界の厳しさも描かれている。
橋場が修士課程、博士課程と進むたびに、知り合いが一人、また一人研究から降りていく。中には研究のプレッシャーに負け、自ら命をたつ人もいるのだ。
院を出て、”今までの経験を活かして”と挨拶をし、メーカーに就職する学生に喜嶋先生はボソッと言う。
そんな経験のためにここにいたのか。
それに対し橋場はこう思う。
良い経験になった、という言葉で、人はなんでも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。今、僕がやっていることは、ただ経験すれば良いだけのものなんだろうか。
やがて橋場は博士課程を終え、助手になる。家族も持ち、お金を稼がなくてはならず、少しずつ自分の研究に使える時間は減っていった。
そして最後の数ページにこんな一節がある。
僕はもう純粋な研究者ではない。
僕はもう……。
一日中、たった一つの微分方程式を睨んでいたんだ。
あの素敵な時間は、いったいどこへいったのだろう?
喜嶋先生と話した、
あの壮大な、
純粋な、
綺麗な、
解析モデルは、今、誰が考えているのだろうか?
世界のどこかで、
僕よりも若い誰かが、同じことで悩んでいるのだろうか。
もしそうなら、
僕は、その人が羨ましい。
その人は幸せだ。
気づいているだろうか。教えてあげたい。
そんな幸せなことはないのだよ、と。
もう......、
もう二度と......、
もう二度と、あんな楽しい時間は訪れないだろう。
もう二度と、あんな素晴らしい発想は生まれないだろう。
僕からは、生まれないだろう。
僕からは......。
橋場、そして喜嶋先生はどうなったのだろうか。気になる方はぜひ書店で手に取ってみてほしい。
喜嶋先生の静かな世界は、いつも僕を勉強しようという気持ちにさせてくれる。
これから院に進んだり、真剣に勉強しようと思っている人にとてもおすすめなので、ぜひ読んでみてください。
喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/10/16
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