去年の秋、妻のなきがらを焼いたとき、その煙はたかだかと空にのぼっていって、やがて、あとかたもなく消えていきました。その光景を、光源氏は、今もはっきりとおぼえています。そして、さまざまな思い出のこもっているこれらの手紙も、今またすべて煙となって、空に消えていってしまうのでした。
こうして、すべてが消えていきます。やがては、自分もまた消えていくはずです。
年も深くなって、やがて大晦日となりました。いよいよことしも尽きようとしています。そして光源氏は、自分の生命も、まもなく尽きようとしていることを予感して、こんな歌を作りました。「源氏物語」の中で、光源氏のよんだ最後の歌です。
もの思うと、すぐる月日も知らぬ間に、
年も わがよも 今日や尽きぬる
もの思いをして、すぎていく月日もわからないでいるうちに、気がついてみると、きょうはもうことし最後の日になってしまった。ことしも、それからそれとともに、わたしの年も、きょうで、尽きてしまうのかしらん。
−「光源氏の一生」P.22,23 池田弥三郎 講談社現代新書
東京の桜は咲き乱れ、僕の足元には風で飛ばされた桜の花びらが絨毯のように広がっている。春の陽気、桜の花。今年も心高鳴る季節がやってきたと、足取りも軽くなる。
毎年この時期になると、光源氏の歌を思い出す。冒頭で紹介した一節だ。
これは誰もが知っている「源氏物語」を現代人にも分かるよう、それでいて魅力を余すところなく伝えた池田弥三郎氏の「光源氏の一生」の冒頭部分である。
高校2年の春にこの本を手に取った僕は、満開の桜の木の下でこの一節を読み、おいおいと泣いてしまった。
なんと儚く綺麗な文章なのだろうか。
最愛の妻のなきがらを焼き、その煙を見届ける光源氏。妻との思いでの品も焼き払い、あの日の思いでが全て消えていく。そしていつの日か、この自分もこの世から消えてしまうのだろう、と。
一人近所の公園で、僕は感動のあまりに涙を流した。この文の儚さ美しさはさることながら、この感覚を1000年以上も昔に生きていた日本人が持っていたとは。16歳の僕は大いに感銘を受け、この壮大なフィクションを書き上げた紫式部はなんて人なんだと驚いた。そしてこの光源氏という男は何者なのか、どんな一生を送ったのか非常に興味をそそられ、一気に読んだことを覚えている。
「源氏物語」の名前は、誰しも一度は聞いたことがあるだろう。しかしそのイメージは、「平安時代の超プレイボーイ・光源氏が女性をとっかえひっかえした話」程度の人が多いかもしれない。また「古典なんてつまらない」「読んでも昔の人の気持ちなんて分かったところで意味ないじゃん」など、あまり興味がないかもしれない。
しかし光源氏という人物はただ遊び呆けだだけの中身のない人間ではない。
人間的な完成は、光源氏のばあい、一生をかけての歩みでした。生まれながらにして、完全な姿でそこにいるのではありません。長い一生のあいだに、その人間が完成していくのです。それが光源氏の一生をたどっていく読者にとって、ほかにかえるもののない尊さをおぼえさせるのです。
−「光源氏の一生」P.16 池田弥三郎 講談社現代新書
はじめにこう紹介されているように、光源氏は幾多の失敗も経験してきた。心に闇を抱えた人物なのだ。
3歳の時に母・桐壺を亡くした光源氏は、のちに10歳の時、新しくきた天皇の奥さん「藤壺」に恋をする。つまり義理の母に恋をしたのだ。
そしてある時、藤壺の姪っ子である「紫の上」に光源氏は出会う。スズメが逃げたと泣きながら走ってきた女の子・紫の上に光源氏は恋心を抱いたのだが、そのとき紫の上はまだ10歳。こちらも危ない恋の予感だ。そして驚いたことに、光源氏は紫の上が成人したのち、自分の妻にした。どんだけベタ惚れしていたのだろうか。
しかしそれだけにとどまらず、光源氏はあの義理の母の藤壺についに手を出してしまい、妊娠させてしまう。藤壺は悩みに悩んだが秘密を隠し通し、天皇との子として「冷泉」を出産。彼はのちに天皇になる。ここまで聞くと昼ドラ以上のドロドロ展開だが、のちに冷泉に出生の秘密を知られた光源氏は、上皇の立場で強い権力を持つようになる。
ほかにも数多の女性と関係を持ち、それに従い権力を増していった光源氏。しかし一方で、彼と関わった女性は病にかかったり物の怪に取り憑かれて亡くなることが多く、果たして自分は正しい行いをしているのか、光源氏は自問するようになる。
そして新しい奥さんを若い人に取られてしまうなど、今まで自分がしていたのと同じことをやられてしまう。
そのとき光源氏は気が付いた。「自分はこんなにひどいことを今までしていたのか」と。そして光源氏は大きな決断をしたのであった。
光源氏は蝶のように次から次へと女性を渡り歩いたのは事実だが、彼はそれだけの人間ではない。
僕らと同じように、成功もあればその裏で数多くの失敗も経験してきた。失敗を繰り返すうちに光源氏という人間はより一層磨かれていき、彼の生き様は1000年以上に渡り、多くの人々を魅了してきたのだ。
この「光源氏の一生」は、ただ古典を読むだけでは理解しにくい源氏物語の魅力をわかりやすく説明している。源氏物語全54帖はページ数にして2000ページにも達する超長編だが、「光源氏の一生」は全部で約250ページと、数日で読み終えられるライトな量だ。
新元号「令和」が万葉集から取られたことで、古典への関心が高まっている。この機会にぜひ紫式部の普及の名作「源氏物語」の世界を冒険してみてはいかがだろうか。
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