金曜ロードショーでララランドが放送される。
ララランド”La La Land”という単語には「カリフォルニア州ロサンゼルス」と「現実離れした世界、おとぎの国」「現実から遊離した精神状態」という意味があるらしい。
ロサンゼルスの街で女優を目指すミアと古き良きジャズを愛し自分の店を開きたいと願うセブ。
少し時代遅れな夢を追う2人はまさにララランド。
ロサンゼルスの地で現実から離れ、夢の中を生きている。
ララランドを映画館で観たのは確か2017年の春だった。
公開が冬だったので、観に行ったタイミングとしては遅かった。
3月のまだ冬の寒さが少し残る夕方、劇場に向かったのを覚えている。
冒頭の圧巻のAnother Day of Sun
実際に高速道路を封鎖して撮影したというこのシーン。
一瞬で釘付けになった。
ミュージカル映画を観たことがなかった僕にとっては衝撃だった。歌って踊る映画がこんなに楽しいとは。
流れる曲が、響くリズムが、心地よく五感を刺激する。
そしてストーリーが始まり、次第に惹かれあっていくミアとセブ。
物語が進むにつれて明らかに美しさを増すエマの演出にも魅了された。
さて、このララランドを観たことがある人なら分かると思うが、この映画はただのラブストーリーではない。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、とても切ない終わりを迎える。
公開当初は純粋にハッピーエンドなラブロマンスを期待していた人たちから批判が上がったそうだが、僕は全くそうは思わない。
むしろ僕はこんなララランドのような映画が大好きだ。
人生は良くも悪くも全て思い通りにいくことはない。
あの日、あの時、こうしていれば。
そんなたらればの積み重なり。
夢見た自分と今の自分が同じことなんてほとんどない。
しかしこの世はララランド。誰もが夢を見る世界。
見たくない現実から目を背けながら、叶うかどうか分からない夢をみ、明日に希望を抱きながら今日もカレンダーをめくるのだ。
幸か不幸か、僕は人生はうまくいくことは少ないと感じる機会が多かった。
中学校生活をかけて挑んだ最後の部活の大会では思うような結果が残せず、浪人してまで挑んだ大学受験は不本意な結果に終わった。
努力をしたからといって、涙を流したからといって、誰もが成功できるわけではない。
そんなことをなんとなく、ぼんやりといつも考えていた僕にとって、ララランドの儚いストーリーはとても心に響いたのだった。
映画が終わった後、僕らはララランドについて熱く語った。
「私たちもああやってまたいつかどこで会うのかもね。もし別れたら。」
-僕ら
-私たち
そう寂しそうに隣で笑っていた彼女は今はもういない。
この世はララランド。誰もが夢見るおとぎの世界。
誰もがいつでも夢を描けるが、それはただの砂上の楼閣。すぐに崩れ去り、僕らの前から消えて無くなる。
寒さの残る3月の夜道を歩いた記憶が、今も鮮明に僕の中に残っている。
今でもララランドを観ると胸が締め付けられる思いがする。
ミアとセブに切ないラブストーリーに心奪われるからなのか、それとも夢と現実の間のギャプを思い知らされるからなのか分からないが、確かに言えることは僕はララランドが大好きだということだ。
音楽も、セリフも、全てが一体となって懐かしいあの日の思い出を僕に運んできてくれる。
それと同時に、僕はどうにかして理想に現実を追いつかせ、さらには追い越してやろうという気概も芽生えさせてくれる。
現実と夢にギャップがあるのはもちろんだ。努力しても夢が叶う可能性は100%ではない。ただ努力しなければ可能性は0%だ。だったらもう頑張るしかないじゃないか。
この世はララランド。誰もが夢を見る世界。でも見てるだけじゃ叶わないんだ。他の大多数と一緒。だったら自分でやるしかない。やるしかないんだ。
ララランドは素敵な映画だ。こんなにおしゃれでセンチメンタルな映画はなかなかない。
恋人と、友達と、そしてたまには1人でしんみりと映画を楽しんでみてはいかがだろうか。
ちなみにララランドはAmazon Primeで無料で観ることができるのでぜひ。