「 僕には時間がないんだ」
あまりにも過酷な減量の結果、命を落としたボディビルダーの マッスル北村さんは、子供の頃から「僕には時間がないんだ」が口癖だった。
「人は何の為に生まれてくるのか。僕は、せっかく生まれてきたのだから、何か目標を見つけて、自分の限界まで挑みたい。そうしないと時間がもったいない。」
彼の少年時代の夢は競輪選手だった。
名門学芸大学附属高校に所属していたある日、若き日のマッスル北村さんは自宅から直線距離で200km先まで自転車で行くという無謀な計画を敢行。そして到着するまで一度も休憩しないと言うルールを自分に課した。
自分の限界にチャレンジするため、深夜2時に家を出た彼はゴールまであと少しまで来たところで疲労がピークに達し、持って来た牛乳を一気に飲み干した。
常温で16時間持ち運んでいた牛乳は完全に腐っており、飲むや否やマッスル北村さんは意識を失う。気がつくと病院のベッドにいた。
その後、現役で防衛医科大学と早稲田の理工学部に合格するも浪人を選んだ彼は東大に合格するため、猛勉強を始める。
「兄の口癖は”僕には時間がない”でした。」
「”この本の内容を全て覚えるまで、僕は家に帰らないし、食事もしない”と言って外出したら、本当に家に帰ってきませんでした」
その後東大に入学したマッスル北村さんはボディビルに目覚め、常識を逸脱したトレーニングと増量に励み10ヶ月で40kgの体重増加に成功。
あまりにもボディビルに熱中した結果、東大を中退するも今度は一念発起し東京医科歯科大学に入り医者になることを決意。21歳の頃の話だ。ここでも常識はずれの勉強量で医学部に一発合格。
しかしやはりボディビルダーになる夢を諦めきれずまたも中退。
その後、ボディビルの道一本にひた走った彼は数々の賞を獲得。そしてトレーニングはより過酷さを増していった。
39歳の頃、20kgの減量を行い異常な低血糖状態に陥った彼は救急車で運ばれる。
彼の身を案じた妹が「めまいがしたらアメを舐めて。アメ一個でいいから」と懇願するもマッスル北村さんはそれを断る。
「僕は、そんなわずかなカロリーすら摂取したくないんだ」
亡くなる数日前の出来事だった。
「僕には時間がないんだ」
わずか39年という短い生涯を凄まじい密度で過ごしたマッスル北村さん。彼の生き様には尊敬の念しかない。
この世界で唯一平等に我々に与えられたもの。
それは時間だ。
金持ちでも貧乏人でも詐欺師でも牧師にとってでも、誰にとっても1時間という長さは変わらない。
その時間を最大限に活用するため、偉人と呼ばれる人たちは凄まじい努力を重ねて来た。
高校を三週間で卒業した孫正義氏はアメリカに着くなり取手のないドアを買いに行き、それを机にした。
唸り声と共に勉強を始めた彼は、食事をするときも風呂に入るときもずっと勉強した。
車を運転するときも講義を録音したテープを聞き、信号待ちのときは「時間がもったいない」と、カバンから教科書を取り出し青になるまで読み込んだ。
「僕には時間がないんだ」
圧倒的勉強量で圧倒的成績で大学を卒業した孫正義氏がその後どんな成功を手にしたか言うまでもない。
39歳に一大決心をしアメリカに渡りMITの教授になった石井裕氏は移動のとき、いつも小走りだ。
「僕には残された時間が少ないから走るんだ。実現させたい夢はいっぱいある。でも自分の力が及ばないんです。それに眠らなくてはいけないし、食事もしなければならない。その時間を差し引くと、本当に仕事ができる時間は、あまり残されていないんだ。」
時間がない。時間がない。時間がない。
猛烈に何かに打ち込む人々にとっては、一日24時間という時間はあまりにも短い。その限られた時間で少しでも成果を出すべく、常人の何十倍もの密度で今を駆け抜けている。
大学生活の終わりが近づいて来た今、改めて自分の時間について考えてみた。
今、自分は有意義に時間を使えているだろうか。
無為な時間を過ごしていないだろうか。
全ての人間に唯一平等に与えられた時間を、精一杯駆け抜けられているだろうか。
この問いに対する答えはNOだ。今の自分には好きなことはいくつもあるが、それに没頭し、寝食を忘れるほどがむしゃらになったりはしていない。
皆さんも改めて自分の半生を振り返ってみてほしい。
無駄にした時間はないか。もっと有効に時間を使えないか。
僕はこのブログを読んでくれる2、3分を皆さんが無駄だったと感じないよう、一生懸命に記事を書いている。たかが3分、されど3分。皆さんの貴重な時間をいただいている以上、楽しかった、為になった、感動したと思われるような記事を書く使命が僕にはある。
天才ガロアは色恋沙汰に巻き込まれた結果愛国者二人との決闘に挑まなくてはならなくなった。
Alfred. Ne pleure pas, j'ai besoin de tout mon courage pour mourir à vingt ans!
アルフレッド、泣くな。ぼくも、ずいぶん、勇気が要る。
二十歳で、死ぬんだ、からな。
パリ近郊ジャンティーユ地区で行われた決闘に破れた彼は病院に運ばれ、最愛の弟アルフレッドにそう言い残し、この世を去った。
享年20歳。少し暖かくなり始めた五月の気持ちのいい朝の出来事であった。
決闘の直前。
「僕には時間がないんだ」
と走り書きで大急ぎでしたためた手紙には、代数的に解けない5次以上の方程式の解を与える楕円モジュラー関数による超越的解の公式の予言など、のちの数学界に革命を起こしたアイデアがいくつも書き留めてあった。
「僕には時間がないんだ」
本当に時間がなくなるまで打ち込もう。
本当に時間がなくなるまで走り続けよう。
時間は誰にでも平等だ。
あなたの一時間も、偉人の一時間も同じ1時間だ。
その一時間、一日、一年、そして一生をどう過ごすかは、各々の手に委ねられている。
人生一回しかないのなら。僕は最大限に時間を使って能力の限界に挑む道を選ぼう。選んでやろう。
「僕には時間がない」
ボヘミアン・ラプソディでフレディ・マーキュリーもそう語っていた。
僕には時間がない
そう思えるように、今を全力で駆けぬけよう。ここまで読んでくれた皆さんも、始めるなら今だ。
幸い僕らには時間がある。20歳で亡くなったガロアよりも膨大な時間がこれから僕らを待っている。ならやるしかない。
一分一秒を無駄にせぬよう、僕もこれからさらに精進しよう。
<参考記事>