台湾人留学生との思い出

 

 

去年取った一般教養の芸術の授業でたまたま隣に座った彼女が台湾人だということに気が付いたのは7月になってからだった。

 

僕が取った芸術の授業ではグループを作ってプレゼンをするのが春学期の6月から始まった。そこで隣に座っていた彼女と組むことになり、初めて会話を交わした。

 

僕と彼女と他のメンバーで自己紹介をしたとき、初めて彼女が台湾から留学している三年生だということを知った。僕は完全に日本人だと思っていたので驚いた。友達と軽く話しているのを見ていた限り彼女の日本語はとても上手で、見た目も完全に日本人だったからだ。

 

グループのリーダーになった僕は毎週火曜日の2限にみんなと顔を合わせ、プレゼン資料を作った。僕らが取っていた授業は近代芸術の授業。特に建築が好きな人が多く、現代建築をテーマにプレゼンをすることになった。

 

 

僕の将来の夢は建築家、だった。

 

高校生の頃、学校の図書館で建築界のノーベル賞、プリツカー賞の図鑑を見てからというもの、この世のものとは思えない奇抜な建物をいつか建ててみたいと思い、建築学科を志した。結局訳あって今は別の道を歩んでいるのだが、あの頃に覚えた建築への愛は廃れることなく、今も建築は好きでよく新建築など建築雑誌を本屋で立ち読みしたりする。

 

グループで好きな建築の話をしたとき、台湾人留学生の彼女の口から「ビルバオ」という言葉が飛び出した。

 

 

「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」

 

 

僕を建築の世界に夢中にした建物の一つだ。スペインのビルバオに巨匠フランク・O・ゲーリーの手によって建てられたその奇抜という他ない美術館は一躍観光名所となった。

 

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ビルバオ・グッゲンハイム美術館

「私は、ビルバオが好き。」

 

そう語る彼女の目は輝いていた。昔、スペインを旅行したときに訪れ、その禍々しくも大胆で見るものを惹きつける外観に感動したと彼女は話した。

 

 

 

授業後、僕は思い切って彼女に話しかけた。

 

「僕もビルバオが好きで、スペインに行ったことはあるんだけどビルバオには行けなかったんです。いつか行ってみたいなあ。」

 

「本当ですか。私、ビルバオ好き。写真あります。よかったらこのあと学食へ行きませんか。」

 

そんな自然な流れで学食でランチを食べ、彼女のスペイン旅行の話を聞いた。スペイン以外にも色々な国を旅しており、その多くが一人旅だった。僕も一人旅が好きなのでとても盛り上がった。

 

彼女は1年間僕の大学に留学しているそうで、経済学部に所属していた。

 

日本を選んだのは実は親の都合で、娘に遠い国に行って欲しくないため、彼女の希望はヨーロッパだったが、結局、飛行機ですぐに飛んでいける日本になったらしい。

 

初めはあまり日本への留学に乗り気ではなかったが、日本語を勉強し友達ができ始めると日本での生活も悪くないと思い始めたそうだ。ただヨーロッパへの憧れはずっとあり、特に好きな国、スペインにいつか住みたいと彼女は語った。

 

「私、美術館が好き。どこかいいところ。ありますか。」

 

「そうだなあ。国立新美術館。あそこはとても綺麗ですよ。」

 

「ではそこに、行きましょう。今週の土曜日、空いていますか。」

 

 

そして僕らは次の土曜日に国立新美術館に降り立った。台風が近づき、風と雨が強い暑い夏の日だった。

 

 

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相変わらず国立新美術館は美しい。黒川紀章設計の乃木坂にどんと構えるこの美術館は一見の価値がある。

 

「こんな素敵なところ。知らなかった。」

 

目を輝かせる彼女を見て、僕もなんだか嬉しくなった。

展示を見終えた後、近くのカフェで僕らは話した。

台湾での生活、日本との違い、将来の夢。こんな短期間で日本語を話せるようになるんだと驚いた。非常に上手で日本人の友達と話しているのとなんら変わらない。

 

 

 

僕らが話しているうちに雨が止み、風もおさまってきたので僕は散歩をしませんかと彼女に尋ねた。

 

「天気も良くなってきたし、散歩しませんか?」 

「『天気がいいので散歩をしましょう。』ハハハ。」

「え?」

「『天気がいいので、散歩をしましょう。』懐かしいです。ハハ。」

 

なんの変哲もない誘い文句に彼女は思い入れがあるらしい。

 

「『天気がいいので、散歩をしましょう。』これ、私の台湾の日本語の先生が良く使ってました。いつもいつも、授業の途中に『天気がいいので、散歩をしましょう。』って。それで私たち、散歩しました。彼、すごくいい先生だった。」

 

 

ー天気がいいので、散歩をしましょう。

 

 

確か英語の教科書にもこんなフレーズが載っていた。どの国でも使われているのだろうか。面白い。

 

つかの間の晴れ間が訪れ、僕らは蒸し暑いジメジメした六本木の街を歩いた。快晴の空の下、大都会東京を歩く。僕にはよく見慣れた景色でも、彼女にとっては初めての景色だ。そんな彼女の驚きに満ちた楽しそうな顔を、僕は今でも思い出す。

 

 

 

 

 

 

ー天気がいいので、散歩をしましょう。

 

つい先日この言葉を久々に見た。

 

今年の夏に留学を終え彼女は台湾に帰った。

 

あの去年の授業以来、あまり関わりはなかったが僕らはお互いのインスタを交換していた。たまに僕がお店や綺麗な場所を載せると、ここはどこですかと質問をくれたので教えたりしていた。しかし再び会うことはなかった。

 

 

彼女が台湾に帰り数ヶ月が経った先週、彼女のインスタに、おそらく台湾の空であろう画像と一緒に、あの言葉が暑い夏の国立美術館を訪れた日の思い出とともに蘇った。

 

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天気がいいので、散歩をしましょう。

 

その言葉とともにアップロードされていた台湾の空はどこまでも晴れ渡っていた。

 

 

彼女は今、何をしているのだろう。

天気がいいので、散歩をしましょう。

この言葉を他の誰かにかけているのだろうか。

 

そして今日もまたこの空の下で、誰かと散歩をしているのだろうか。 

 

台湾から留学してきた彼女と過ごした時間は本当に一瞬ではあったが、僕には彼女の言葉が強く今も残っている。

 

 

天気がいいので散歩をしましょう。

 

そして僕は今日も東京の街を歩く。

 

僕の隣で歩いてくれる誰かが現れる日を、静かに待ちながら。

 

 

 

 

 

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