ある日の夕方。駅のホーム。
通過列車が目の前を通り過ぎて行き、ふと目をあげるとこんな広告があった。
-次に観られるのは、いつだろう。
その言葉を目にした瞬間、僕の心は東京を離れ、日本を離れ、はるか8000km先、ノルウェーのオスロに飛んでいった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
-次に観られるのは、いつだろう。
1ヶ月半前。オスロにある国立美術館。ムンクの代表作「叫び」の前で僕はそう呟いた。
一人で訪れたノルウェー。あの「叫び」をこの目で見たい。誰もが知っている名作は、国立美術館の展示室の一つに、他の作品と並べられてポツンと飾られていた。
他の作品よりふた回りほど小さい「叫び」。さぞ人だかりができているだろうと思いきや、3人くらいしか見ていない。北欧の美術館は写真撮影がOKだ。みんな横に立って叫びのポーズをして写真を撮っていた。
しばらくして観光客がいなくなり、「叫び」と僕は一対一で向かい合った。他に誰もいない。なんと贅沢な時間。
-これがあの叫びか。
ムンクの魂の一作を目の前にし、一人、静かに感動を覚えた。
しばらく一対一で、ソファーに腰掛けながら「叫び」を見つめた。後から来た観光客にお決まりのポーズで写真を撮ってもらい、「叫び」、そして他のムンク作品に別れを告げた。
-次に観られるのは、いつだろう。
そう思いながら、オスロの空を仰いだ。日本からはるか8000km。たった一人で訪れたノルウェー。「叫び」と一対一で向き合った時間。この贅沢な体験は、この先の人生2度と出来ないかもしれない。
そして叫びにも、またノルウェーを訪れることがなければ、観る機会ないのだろう...
国立美術館前でトラムに乗り、オスロの街を眺めつつ心地よいトラムの揺れに身を任せ、気持ちのいい晴れた空を眺めながらそんなことを考えた。
思っていたよりもずっと早く、また出会える機会が訪れるとも知らずに...
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それから1ヶ月後、ムンク展が日本で開かれることを知った。
次に観られるのは、いつだろうと思いを馳せたあの「叫び」を、生で、目の前で、一対一で観てから2ヶ月と経たずして、向こうから日本にやって来た。
これは運命なのだろうか。北欧一人旅ですっかりノルウェーの惚れた僕は「ノルウェーが僕を呼んでいる。」と本気でそう思った。
だが、僕はムンク展には行かない。絶対に。
手を伸ばせばすぐそこに「叫び」が、他のムンク作品があっても僕は行かない。
行きたくないんだ。
僕は今でもあのオスロの物寂しい静かな街並みを思い出す。
人口わずか500万人の国、ノルウェー。
日本と面積は同じにも関わらず、首都オスロの人口も70万人もいない。
ヨーロッパの面影を残しながら豊かな自然を誇るこの国は、厳しい寒さと戦い、大海原を旅し、わずかな資源をうまく使い、生き残るすべを模索してきた。
そんななか生まれた芸術作品は、どこか哀愁に満ちた味わいがあり、懐かしいような、寂しいような気持ちにさせてくれた。
国立美術館で、「叫び」と一対一で過ごした時間。あの時間はもう二度と帰ってこない。
人口の多い東京ではとてもじゃないが叶わない。百人を超える人で溢れる展示室で、爪先立ちをして「叫び」を観る。それを僕は感動の再会と呼びたくない。
僕にとっての「叫び」は、あの静かなオスロの街の、人の少ない展示室で、じっくりと向き合ってはじめてムンクの「叫び」として観ることができたのだ。
あの貴重な時間をまた過ごしたい。
またオスロの街を歩きたい。
ノルウェーが生んだ独創的な芸術にまた触れたい。
そしてそれまでは、「叫び」との再会はとっておこう。
部屋のカーテンが揺れ、11月らしい冷たい風が吹き込んできた。
9月にオスロの街に吹いていた、夕方の、夜の訪れを告げるあの風に似ている。
ノルウェーからはるばる、僕の元までやってきたのだろうか。
窓を開け、空を見上げる。冷たい風にあたり、目が冷めてきた。
どこまでも晴れわたる秋晴れの空。
僕がオスロでみた、あの透き通るような北欧の太陽の低い空にそっくりだった。
いつかまたノルウェーに、オスロに、あの街並みに、そして「叫び」に僕は再び会いに行こうと思う。
<北欧一人旅の記事>