待ち合わせは新宿三丁目の駅を出たところ。
普段あまり訪れない街だったが、出口を出たところで「これはまずいな」と思った。
横断歩道の向こう側にあったのは僕が足を踏み入れてはならない世界。
新宿二丁目といえば分かる人も多いだろう。
そう、横断歩道を越えると、そこから先は二丁目だった。
言わずと知れたゲイの街だ。嫌な予感がする。
そうこうしているうちにLINEが来た。
「もう着きましたか?今向かってます!どんな格好ですか?」
仕方ない。ここまで来たら行くしかないと服装を教え待っていると、数分後、ハゲ散らかしたおっさんが来た。怪しさが一層増す。
「君がヒロシくん?どうも、マツモトに言われて迎えに来ました。タハラです。」
タハラはそう話かけると、じゃあお店に行こうかと歩き出した。もう行くしかないと後ろを歩く。おい、ミユキが来るんじゃなかったのか。こんなおっさんが来るなんて聞いてないぞ。話が全く違うじゃないか。
タハラは歩きながら話を続ける。
「君、この街はよく来る?二丁目はさ、ゲイバーで有名なのは知ってるでしょ。うちもその一つなんだけどそんな怪しいところじゃないから。」
「働いてるのも君と同じくらいの大学生ばかりでね。みんな元気にやってるよ。」
「ミユキから話聞いてる?彼女すごいよね。25でお店開いちゃうんだから。君もネットでミユキと知り合ったんだっけ?俺はそういうの分からないけどなんか便利なアプリがあるらしくてそこで店員さんを募集してくれてるんだよ。すごいよなあ。」
そのマツモトミユキは来ないのか。来ないならそう伝えてくれ。話を続けるタハラに不信感を抱きながら歩く。やがて薄暗い雑居ビルの一角についた。
「ここがお店。じゃ上がろうか。」
違う。店の名前はこれじゃなかった。
さすがにボーイズバーで働くことに不安を抱いていた僕はしつこくミユキに質問した。
そしてあらかじめ店について調べるために店名を聞いたのだが、どう検索してもヒットしなかった。
連れて来られた店はそれとは全く違う名前だった。
初めから薄々感じていた不審感が確信に変わった。こいつは俺を騙している。
エレベーターで3階に上がり、一番近い扉を開けるとこじんまりとしたバーに通された。
カウンターには僕と同じくらいの歳の大学生が3人くらいタバコを蒸している。
その後ろのソファーに座っていた男が声をかけてきた。
「おかえりなさい。その子が面接の子?よしここ座って。」
席に通され、水が運ばれてきた。
店はそこまで大きくない。20人も入ればいっぱいになるだろう。
バーらしく薄暗い。カウンターには色々なお酒が並べられ、店員の男たちが談笑していた。僕には見向きもしない。
やがてタハラが隣に、ソファーのに座っていた男が向かいに腰掛けた。
「どうも。オーナーのマナベです。」
これはどう考えてもアウトだと直感で分かった。マナベの両腕には龍の刺青が掘られ、背は高くはないものの筋骨隆々。鋭い一重まぶたの奥から睨みつけるように僕を見ている。どう考えてもオモテの世界の人間ではない。
「じゃあうちの店について説明していくんだけど。」
とマナベの説明が始まった。初めのうちはあらかじめミユキから聞いていた通りだったが、徐々に雲行きが怪しくなってきた。
「君はここがどういう街か知ってるよね。」
はい知ってます。ゲイの方が多い街ですよね。
ナメられたらいかんとひょうきんに答えた。
「そうそう。だからお客さんも女性よりはそっちの男性の方が多いわけ。それでね、指名してもらえるようにお客さん来たらみんなでアピールするの。」
そのアピールがどんなものかは教えてくれなかったがマナベは説明を続ける。
「で指名されたら給料が発生するんだけど、それは普通のバイトと同じくらいなのね。で、もっと高い給料が出るのが、その先のデートなの。」
デート?なんだそれはと思っているとマナベは紙を取り出した。
「これうちの料金体系ね。写真撮ってもいいよ。」
その時に撮った写真がこれだ。
これはお客さんが払う額だ。教えてもらえなかったがそのうちの何割かが店員に入ってくるらしい。
「うちで稼いでる子はこのデートで稼いでるのよ。まず指名されて、一緒に飲んで、気に入ってもらってデートまで行くのね。多い子だと一晩で3回くらいデートするから何万も稼いでるよ。」
次の一言で僕は悟った。
「でそのデートなんだけど、キスと口でするのはしてね。」
そうか。ここはそういう場所なのか。
鋭く僕を見るマナベの目をじっと見ながら僕は思った。
ここは新宿二丁目のボーイズバー。
当たり前ながらゲイの人がたくさんくる。
ここでの本当の仕事は彼らとお酒を飲むことの先にある。
体を売ることにあったのだ。
「大丈夫?できるよね?」
そう言われた僕は「はい。できます。」と答えた。