先日こんなニュースが話題になった。
「命乞いするロボットの電源を切るのは難しい」ことが最新の研究から明らかにhttps://t.co/CwTfVnaq9s
— GIGAZINE(ギガジン) (@gigazine) 2018年8月3日
ドイツの研究者が被験者89人にヒューマノイドロボットと一対一で作業を行ってもらい、おしゃべりをしながら作業を進めた。
被験者にはロボットの学習アルゴリズムを改善するための実験と伝えられていたが、この実験の本当の狙いは別にあった。
作業終了後、研究者は被験者に「ロボットの電源を切るようにお願いした。」
さらに89人中43人にはロボットが「ノー!どうか僕の電源を切らないで!」と懇願するように設定した。
結果43人中13人は最後まで電源を切ることができず、残りの30人もロボットが懇願しない場合と比べると平均で2倍も電源をオフするまでに時間がかかった。
そう、この実験の目的はロボットが命乞いをした時、人は電源を切ることができるのかを調べることだったのだ。
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空をこえて ラララ 星のかなた
ゆくぞ アトム ジェットの限り
さて話は変わるが、みなさんこの歌はご存知だろうか。そう、鉄腕アトムの歌だ。JR高田馬場駅の発車音にもなっているのでそのメロディを聞いたことがある人は多いだろう。
鉄腕アトムは日本が誇る天才漫画家・手塚治虫の代表作だ。他に火の鳥やブラックジャック、ブッダなど数々の名作を残してきた。
そんな彼が生み出したアトムは海を超え、アメリカで3D映画化された。2009年のことだ。
舞台はロボットが人間の身の回りの世話を全てしてくれるようになった夢の空中都市メトロシティ。
天才科学者テンマ博士はロボットの実験中に不慮の事故により息子のトビーを亡くしてしまう。
悲嘆にくれるテンマ博士は息子を取り戻すため、ブルーコアという究極のエネルギーを使い、彼の姿と記憶を持ったトビーそっくりのロボットを作り出す。
上の姿こそみなさんが知っているアトムの姿だと思う。実はこの映画、日本でも上映されたのだが、全くもって売れなかった。
理由はアメリカ版アトムが全く原作と違うという批判が絶えなかったからだ。例えば原作ではアトムはずっと上半身裸だがアメリカではいくらアニメとはいえその描写は不適切なため、アトムは基本服を着て登場した。
他にも色々な点で手塚プロダクション側とアメリカの映画制作社側の意見が食い違い揉めたらしい。手塚側が何としても原作のアトムの顔は変えないでほしいと頼み、映画でもアトムはあの丸鼻と尖った髪型をしている。
そんなこんなで公開当初からこんなのアトムじゃないと批判が相次ぎ、日本では全くヒットしなかった。おまけにアメリカでも中国でも大コケしたらしく、散々な結果だったということだ。
僕はAmazon Primeでこの映画をたまたま見つけて観た。
結論から言うと、本当に良い映画だった。
公開当初は散々叩かれていたらしいが、Amazonでの評判はめちゃめちゃいいし、YouTubeのコメントも賞賛のコメントが多い。
日本人はアニメが実写化されたり海外で映画化されると、どれだけ原作に忠実かを求めてしまう。アメリカ版「ATOM」もそんな日本の慣習の前に向かい風にあい、観てもらう前に不発で打ち切りになってしまったのだと思う。
確かに原作ファンからすれば「ATOM」は「アトム」とはかけ離れているかもしれないが、そのエッセンスは十分に詰め込まれている。
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この作品のテーマは「ロボットに心はあるのか」だと僕は思った。そしてこのテーマは、これからロボットと共に暮らす未来が訪れるであろう僕らにとって重大になる問いを投げかけている。
トビーそっくりのロボットを作ったテンマ博士だが、トビーそっくりではあるもののどこか生前のトビーとは異なり、やんちゃなロボットに手を焼き、廃棄することを決めてしまう。
居場所を失ったトビーのロボットは、彼に埋め込まれたブルーコアを使って悪巧みをする大人たちに狙われ攻撃を受け、見捨てられた地上世界に墜落する。
地上は汚染が進み、何年も昔に見捨てられ、選ばれた人々は空中都市メトロシティに移り住み、地上に残された人々は過酷な環境で細々と生活していた。
墜落したトビーそっくりのロボットは地上の子供たちや捨てられた廃ロボットと仲良くなり、アトムという名前を授けられる。
人間に混じり居場所を見つけたアトムだが、ひょんなことからロボットであることがバレてしまい、地上の人間の娯楽であるロボット同士の決闘に出場させられてしまう。
この辺りの人間の態度の変わりようが怖い。さっきまでアトムを人間として扱っていたのにロボットとわかった瞬間、散々に痛めつけ、便利なモノとしてしか扱わなくなる。
それ以前に親に当たるテンマ博士の行動こそ恐ろしい。息子としてアトムを作ったにも関わらず、気に入らないというだけですぐに廃棄を決めた。アトムがトビーの生前の記憶、体を持っていてもである。
ここで注目すべきなのはアトム自体にはトビーの記憶が埋め込まれているということである。
映画を見る限り、アトムはトビーが一度死に、その記憶を持って自分が作られたロボットであることも知っており、いわば人間だったドビーがロボットになって生まれ変わったのと同じだ。
ただあくまで体はロボット。見た目はトビー少年でも足からジェットが出て空を飛べ、腕からはロケランが出る。
それでも心は人間のままだ。ロボットに埋め込まれた記憶とはいえ、自分はかつて人間で、今はロボットとして作り直され、自分はどこに属せばいいのか居場所を探している。
父親に存在を否定され、ロボットには人間とみなされ相手にされず、人間にはロボットとバレた瞬間モノとして扱われたアトムの心情は計り知れない。
それでもアトムは人間を守る。
自分はロボットなのか人間なのか分からない。どちらでもなく、どちらでもある。自分はどちらの側に立って生きればいいのか。
ただアトムはロボットとして生まれ変わったことにより、アトムはロボットの心の声が聞こえるようになった。
彼らは人間から見れば心を持たない機械だが、人と同じように感情を持っていた。アトムは彼らの声に耳を傾け、自分はどのように生きていけばいいのかを模索し始める。
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僕はアトムを殺すことはできない。
いくらアトムがロボットで、人間でないとしても、姿形は人そっくりで感情があるかのように動く。
もうそれは僕にとっては人間と同じだ。
いくら頭では所詮ロボットで感情があるかのように振舞っていると頭では分かっても、絶対感情移入してしまう。
ただロボットが社会に浸透した未来ではそれは違うのかもしれない。映画に出てくる多くの人のように、ロボットをモノとしてしか扱わず錆びればゴミとして容赦無く捨ててしまうのだろうか。
ロボットは人の役に立つために生まれ、人間の私利私欲のためにはどんな目に合わせてもいい。それが彼らの運命なのだろうか。
冒頭に紹介した実験結果からは、今の僕らは機械にも感情移入してしまう傾向があることが分かった。この傾向は10年後、20年後、どのように変わるのだろう。
もしあなたの家族や友人、恋人が亡くなり、彼/彼女そっくりのロボットができたら、あなたは”それ”を愛することができるだろうか。
映画「ATOM」は、ロボットと人間はどんな関係性を築き、人間そっくりのロボットができた時、僕たちはどうそのロボットを迎え入れるのかを考えさせてくれた。
興行こそうまくいかなかったが、この映画は原作のアトムのエッセンスを十分に含んだ、近い未来、ロボット社会に突入する僕らへの示唆に富んだ素晴らしい映画だった。
Amazon Primeで無料で観られるのでぜひ観てみてほしい。