創造的な人生の持ち時間は10年だ。
設計家も芸術家も同じだ。
君の10年を力を尽くして生きなさい。
僕はジブリで義務教育を終えた。
そう断言できるくらい小さい頃からスタジオジブリを見て育った。
幼稚園の頃には毎日トトロと魔女の宅急便と千と千尋を見ていた。
やがて高校生になりそこでもう一度ジブリ熱が加速した。
一番ハマっていたときなんて1日に3回もののけ姫を見た。
ほとんどの作品のセリフを覚えているし、制作秘話だって知っている。絵コンテだって読み尽くしたし、サウンドトラックは全部iPhoneの中に入っている。
通算でジブリ作品を300回以上は見ているし、三鷹にあるジブリ美術館にも足繁く通っている。
そんな熱狂的なジブリファンの僕から言わせてもらうと、”風立ちぬ”は今までの宮崎駿作品から逸脱した挑戦的な試みであった。
風立ちぬにはトトロやポニョのような可愛いキャラクターは登場しない。千尋が迷い込んだ八百万の神が住む世界や、ハウルとソフィーが暮らす魔法の世界もない。
出てくるのは堀越二郎という零戦の設計者。
物語の舞台は戦時中の日本だ。
風立ちぬの主人公、堀越二郎は、実在した二人の人物をモデルに描かれている。一人は零戦の設計者、堀越二郎。もう一人は”風立ちぬ”という名作を残した堀辰雄だ。
映画のポスターにも、”堀越二郎と堀辰雄に敬意を表して”と記してある。
ジブリの虜である僕はもちろん小説”風立ちぬ”も読んだ。
小説の風立ちぬは昭和の名作と呼ばれている。結核に冒された婚約者を「私」が看病し、次第に近く愛するものの死を覚悟しながら、残された二人の”生”を強く意識し、共に生きる様子が描かれている。死にゆくものの目を通じてより一層美しく映える景色をバックに、死と生の意味を問いながら限られた時間を美しく生き抜く二人の姿に、儚さとともに深い感動を覚えた。
映画”風立ちぬ”では小説の設定が用いられ、物語の中で二郎は菜穂子という美しい少女と運命的な出会いをする。やげて二人は結ばれるが、菜穂子は結核に冒されており、二郎は菜穂子との残された時間を大切に過ごしながら飛行機の設計に打ち込む。
そしてタイトルの”風立ちぬ”は、小説中にある”風立ちぬ、いざ生きめやも”という詩句から取られている。
これはポール・ヴァレリーの詩、海辺の墓地の一節、
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
を堀辰雄が訳したものだ。現代の日本語に直すと、”風が立っている。生きることを試みねばならない”となる。
この”生きる”という力強いフレーズは、宮崎駿作品で一貫して描かれてきたものだ。魔女の宅急便では独り立ちした少女が一人前になる過程が、千と千尋では神々の世界で平凡な少女が困難に打ち勝っていく姿が描かれた。
そしてもののけ姫のキャッチコピーは”生きろ”。
崖の上のポニョは”生まれてきてよかった”だ。
そして風立ちぬは”生きねば”だ。
このように宮崎駿作品で描かれ続けた生への賛歌が、風立ちぬにも共通している。
風立ちぬでは2つの”生”が描かれている。1つは先ほど説明した菜穂子と二郎の恋人同士の”生”。もう1つはエンジニアとしての”生”だ。
エンジニアとしての”生”について語るにあたり、作中で鍵を握る人物がいる。それがこの男、実在したイタリアの航空技術者、カプローニだ。
作中で二郎とカプローには夢の中で交友し、二郎を設計家へと導いていく。
二郎は少年時代、飛行機に憧れ、外国の雑誌を自力で翻訳して読み、イタリアを代表する設計家カプローニに憧れを持っていた。そしてある日、夢の中でカプローニと初めての出会いを果たす。
彼は二郎少年にこんな言葉をかけた。
飛行機は戦争の道具でも商売の道具でもない。
飛行機は美しい夢だ。設計家は夢に形を与える。
この言葉に感銘を受けた二郎少年は、飛行機の設計家になることを決心する。
その後も度々カプローニと二郎は夢の中で出会い、カプローニはいつも同じ質問を投げかけるのだ。
風は吹いているか。日本の少年よ。
と。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
ー風が立っている。生きることを試みねばならない
二郎はカプローニの助言を受けながら美しい飛行機を作るために仕事に打ち込んでゆく。
そんなカプローニのセリフで特に好きなセリフが2つある。1つはこれだ。
君はピラミッドのある世界とピラミッドのない世界とどちらが好きかね。
空を飛びたいという人類の夢は呪われた夢でもある。
飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命を背負っているのだ。
それでも私はピラミッドのある世界を選んだ。
君はどちらを選ぶかね。
ーピラミッドのある世界とピラミッドのない世界。
美しい飛行機を作りたい、そう願った二郎の生み出した零戦は、当時、どの国の飛行機にも負けない最高傑作となった一方、敵を殺す殺戮兵器として空を飛んだ。二郎はその呪われた夢に生涯を捧げ、激動の時代を生き抜いたのだ。
そして2つ目の好きなセリフがこれ、大学時代の二郎に投げかけた彼の人生を決めた一言だ。
創造的な人生の持ち時間は10年だ。
設計家も芸術家も同じだ。
君の10年を力を尽くして生きなさい。
ー創造的な人生の持ち時間は10年だ。
僕は風立ちぬという作品はこの言葉のためにあるように思えた。創造的な人生の持ち時間は10年。たったの10年しかないのだ。この10年という数字になんら根拠はない。でも、宮崎駿は現代を生きる僕らに、君たちが力を尽くして創造的に生きられるのは10年だと伝えたかったのだ。
僕の創造的な10年は、一体いつから始まるのだろう。
大学を出てからだろうか。
社会に出て仕事が軌道に乗り始めた30代からだろうか。
それとも、もうその10年は過ぎてしまったのだろうか。
はたまたまさにこの今が、僕の創造的10年の真っ最中なのだろうか。
宮崎駿は風立ちぬを作り終え、ジブリから引退することを発表した。
その引退会見で彼はこう語った。
この世界は生きるに値する、それを子どもたちに伝えるために僕は映画を作ってきたんです。
ーこの世界は生きるに値する。
痺れるくらいにかっこいい。
僕らはその生きるに値する世界で、力を尽くして生きなくてはならない。
ー日本の少年よ、風は立っているか。
ああ、風は立っている。とても強く。強く。
僕は、生きることを試みねばならない。
僕は、僕の10年を、力を尽くして生き抜こう。
(注: 宮崎駿はのちに引退宣言を撤回し、現在は次回作 ”君たちはどう生きるか” の製作中です。)
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