これは僕が浪人を終え進路が決まった三月の話。
受験のプレッシャーから解放された僕は、毎日のように遊び呆けていた。1年間金をほとんど使わなかったとはいえ、貯金にも限度がある。自由の身になった僕は貯金を使い果たし、生まれて初めてバイトしなくてはならなくなった。
ただ進路が決まったとは言え事実上ニートなので、いきなり家庭教師とか塾講師のバイトができる訳では無い。かといってコンビニで長い間働くのも嫌だなあ。そう思った僕は一日限定で働く『派遣』というシステムを知り、早速申し込んだのだった。
朝7時 僕は自転車に乗り家を出た。20分ほど漕ぎ続け、工業地帯の一角にある目的地の倉庫についた。
どんよりとした曇り空の下、灰色の壁に覆われた倉庫からなにか不吉な予感がした。
そして予感は的中した。
入口で受付を済ませ、中に入り、作業に着替えさせられた。マスクを付け、髪が落ちないように帽子をかぶる。
僕の他に派遣できた人が10人いた。女子高生らしき人が3人、東南アジア系の兄ちゃんが2人、死んだ目をしたおっさんが2人、ババアが3人。
僕は働くこと自体初めてでめちゃめちゃ緊張していたが、彼らは皆経験者のようだった。
着替えて作業場に出ると、ボロボロの作業服を着た40代くらいの男が二人、そこに並んでと指示を出した。僕らはそこに並び、ラジオ体操をさせられた。
倉庫の中は外より寒く、荷物を運ぶ小さ車が行き来する以外音もしない。
一面からカビの匂いがする。
帰りたい...
開始五分でそう思った。
ラジオ体操を終えると、早速仕事が始まった。
雑誌にチラシを一枚挟むという簡単な作業だ。二人組になれと言うので、死んだ目をしたおっさんの一人とペアになる。
おっさんが雑誌を広げ、僕がチラシを挟む。
この繰り返しが永遠と続く。
一枚、また一枚と。
もう何百枚かやったんじゃないかと思い、ふと時計を見た。
10分しか経っていない。
え???まだ10分???
数学の問題を解いているとあっという間にすぎる10分が、ここでは果てしなく長い。
途中何度も時計をみたが、全然時間が経たない。それにおっさんはずっと一人でブツブツ言ってる。なんだこの状況は。
一時間後、ようやくこの作業が終わり、そのあとダンボールを組み立てたり、台車に荷物を乗っけて運んだりした。おっさんは相変わらずブツブツ独り言を言い、ババアは仲良くくっちゃべりながら作業をし、外国人は僕の知らない言葉でたまに話していた。倉庫の高い天井は声がよく響く。
僕は完全に独りだった。全く進まない時間。永遠に続く単純作業。かじかむ手、立ちっぱなしで痛む足。浪人明けの体にはこたえる。だたっ広い倉庫には僕らしかいない。彼らが喋る以外なんの物音もしない冷たい空間で、僕は倉庫の外の人類はみんな絶滅したんじゃないかと思った。火の鳥未来編で、放射能汚染でたった一人生き残ったマサトもこんな気持ちだったのかもしれない。
その後もいろんな作業が続き、休憩までの4時間が本当に長く感じられた。
休憩中も地獄は続く。埃っぽい控え室に押し込められ、各々が持ち込んだ弁当を食べる。僕は来る途中のセブンで買ったお弁当を食べ、ジュースを飲んだ。2つ合わせて900円ほど。このバイトの時給と同じくらいだ。あんなに長かった1時間と引き換えに手に入れられるのがこれか。働くってのは大変なことだ。
独り黙々と食べていると、近くの女子高生らしき三人組が話だした。
”うち、来月から△△大学なんだけど!あなたは???”
”私は〇〇です...”
”そうなんだ!私そこ蹴ったwww”
”私もそこ蹴ったよwwwあと△△もwww”
”あっそーうち部活で夏まで忙しかったからなー”
なんということだろう。こんな派遣先でたまたま出会った女の中で、早速マウンティングが始まったのだ。なぜこんなとこでマウントを取り合うのか。勘弁してくれ。
そして午後の作業が始まった。
が、ここで問題が起きた。東南アジア系の二人のうち一方が消えたのである。確かに休憩中も見かけなかった。どうやら作業が退屈すぎて逃げ出したらしい。すると現場の指揮官がもう一方の外国人をいきなり怒鳴りつけた。
”おめえもう一人はどこ行ったんだよ!今すぐ連れてこいよ!”
彼は言葉がわからないのか何も言わない
”なんか言えやこらあ!一人いない分お前が二人分働けよ!なあ!”
彼はすっかりビビってしまっていた。その後、作業が再開されたが、彼は早足で更衣室に向かい、急いで着替え倉庫を飛び出して行った。指揮官は
”あんなのいてもいなくても同じだ”
といい、ダンボールを蹴っ飛ばした。
派遣に人権はないのだ。
午後の作業も単調だった。僕はひたすらポスターを筒に詰める作業をする。武井咲が写った、確か目薬の広告ポスターだった。
ポスターを広げ、綺麗に丸め、筒に押し込め蓋をする。
この作業の繰り返し。
美人は三日で飽きると言うが、僕は30分で武井咲に飽きた。
僕はこの日、一生分の武井咲を見たと思う。
この単調な作業を永遠と繰り返し、2時間ほど経った後、次の作業に移った。値札のようなものを商品にひたすら貼る作業だった。もうこの時間になるとみんな元気が無く、女子高生たちは喋る元気もなかった。ただババアは開始の時と変わらずくっちゃべっており、死んだ目をしたおっさんは死んだ目をしながら黙々と作業をしていた。
さっき外国人を怒鳴りつけたおっさんとは真逆で、この作業の指揮官は優しく指示を出してくれた。でも派遣バイトはさっきの人みたいに基本、人権がないかのように扱われるらしい。ライブ会場設営の派遣なんかは一晩中怒鳴られっぱなしで働かされるらしい。
この単純作業も終わり、長い1日が終わった。ババア以外はすっかり疲弊しきっていた。朝から夕方まで働いてもらえたのは、たった7000円ほどだった。
労働を終え、清々しい気分になるものだと思っていたが、そんなものは全くなかった。
半日ぶりに肌で感じる外の空気が心地よかった。
僕は二度と派遣なんかしないと心に誓い、誰よりも早く工場を後にした。